アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年10月16日 焼岳(中尾高原口) (1/2)

ウス。

史上稀に見る台風の一過、心地良い秋晴れですね。

幸い大きな被害のない地域でも、深層崩壊にはくれぐれも気を付けましょう。

 

はい、ということで山です。

しかし甲信越~東北は被害が大きく、方々に迷惑をかけるので控えるべき。

と考え、岐阜県に行ってきました。今回は新穂高から焼岳へ。

 

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9月、西穂高から焼岳を遠望。

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焼岳。標高2,444m(北峰)日本百名山の一峰。北アルプスに属する。

現在でも活発に活動を続ける活火山(Bランク)

別名『硫黄岳』。麓にはこの山の恩恵による温泉地が点在している。

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7:00 中尾高原到着。

未明に車を走らせて1時間半で新穂高に到着。

今回の出発地は、新穂高への入り口蒲田トンネルを抜けてすぐの駐車場から

更に上がって行った先にあります。

 

集落からは錫杖岳が光り輝いていました。

 

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警告。

焼岳は人の多い山ですが、同時に活発な活火山でもあります。

火山活動の活発性を示すABC評価ではBランク。

同ランクには箱根御嶽山蔵王山安達太良山富士山等々...。

 

たまに低周波地震が起きています。登山は事前に噴火情報を入手してから。

 

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駐車場から徒歩10分、登山道入口。

日本百名山のコースながら、人が少ないことで知られるこのコース。

車以外でアクセスが難しく、しかも樹林帯が殆どなので

大多数は中ノ湯上高地側から登るんだとか。

 

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飲料は不可だろうね。

懸念していた台風の被害も少なく、沢を清流が走る様が見られる。

 

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気温5度くらい?寒いのでパーカーを着る。

スタートからおよそ1時間はゆるやかな登りが続きます。

樹林帯の中は景色に乏しいですが、ふと下を見てみると、ほら。

 

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ミクロの世界は雄大

キノコとコケの王国です。

派手に見えるものだけが全てじゃないってことよ。

 

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サンゴハリタケモドキちゃん。針葉樹に生えるのがポイント。

サンゴハリタケモドキちゃん!

もっさりふさふさ多生していました。こう見えて美味しいらしい。

 

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マメホコリの一種。

しかし谷間は硫黄臭がとてつもなく酷かったです。鼻が痛くなるほど。

帰りはそうでもなかったけど…。

あれだけ匂うなら、そりゃ動物も近寄らないかな?と思っていました。

 

暫し無心で登り切り、小さな広場に出ると、背後から

カサッ…ガサッ…

 

ん…?何何?

 

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おこなの?

あっ!

オコジョですよ、オコジョ!かわいい!

 

身動ぎせずにぼーっと突っ立ってると、様子を見るように近づいてきてくれました。

しかしカメラはお嫌いのようで、すぐさま藪に消えていきました。😞

 

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ここからだんだん急坂になっていく。

思いがけない珍客に驚き、暫し休憩して再開。

しかしここから1000m近くを登り詰める樹林帯続きで、話のネタがないのじゃ。

 

ということで少し、今歩いている道についてお話をば。

この道の『起源』について。

 

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現行山と高原地図より。

実はこの道、長野県三郷小倉岐阜県中尾を繋ぐ『飛騨新道(飛州新道)の一部。

今から約180年前、三郷小倉から鍋冠山大滝山を経由して上高地(徳沢)へ一度降り、

上高地から更に旧中尾峠を越えて中尾に降りて神岡町へ抜ける道と繋がる

長野~飛騨間の往還が開通しました。

(長野側から1820年着工。前者は1830年、後者は着工が長引き1835年開通。)

 

今から180年前…?北アルプス…?」とお思いの方もいるでしょう。

ちょうどこの時、日本登山史に残るビッグイベントが起きました。

 

そう、播隆上人による槍ヶ岳開山です。

 

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秋の色。

この飛騨新道が、播隆が初登頂時に用いたルート。

そしてこの道の開拓者の1人が、彼のガイドを務めた中田又重郎なのです。

 

1826年播隆は又重郎の同伴の元、三郷小倉を出立し

出来立てホヤホヤの飛騨新道を登って、蝶ヶ岳を目指します。

 

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ブナの大木って神様って感じがする。

その後常念岳手前でワサビ沢を下り、槍ヶ岳の肩に岩屋を見つけ、

以後ここを槍ヶ岳の開山拠点としました。

これが今も南東に残る『坊主の岩小屋』です。

 

その年は登頂せず一旦下山し、2年後の1828年弟子らと共に再度槍ヶ岳へ。

既にルートは把握済み、スムーズに岩屋へ到着して槍ヶ岳へ初登頂、開山に至ります。

 

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登り調子で2時間半ほど、雨量計が見えたら頂上は近い。

この道がなければ播隆と又重郎は出会うこともなく、槍ヶ岳の開山は

今も成されてなかったのかもしれません。

 

この登山史に残る新道は、主に安曇野の米を飛騨へ届ける目的で使われましたが

開通から26年後の1861年に往還としての役目を終え、廃道となりました。

 

さらに、この新道は高山(こうざん)を越えているので、

積雪のため一年の大半は不通となり、また各所に道路が崩壊して

利用者も少く、特に万延元年(一八六〇)五月の大暴風雨にすっかり破壊され、

通行がほとんどなくなったため、文久元年(一八六一)十一月には、

飛彈神坂の口番所も廃止されるに至った。

                                                           (穂苅三寿雄『槍ヶ岳開山 播隆』)

 

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秋晴れ。

 

その後は猟師道として明治末期におよび、今日に至っている。

                                                           (穂苅三寿雄『槍ヶ岳開山 播隆』)

信州側は所々で道が滅失していますが、こちら側は焼岳登山者の通り道として

思いがけず生まれ変わった、という話。

想像以上に濃い歴史が詰まった道です。

 

歩いてる時には一切分からなかったけど、調べてみると存外に面白い。

 

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秀綱神社。立派な鳥居だ。

長話になりましたが、登山口から約2時間で秀綱神社へ到着。

お札と鳥居だけの簡素な神社ですが、ここにも歴史が詰まっているようです。

だが俺は戦国時代は全く分からないんだ!すまねぇ!

 

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台風の落とし物。

落葉が激しいのか、あまり紅葉している風ではありませんでした。

今年は例年より紅葉が遅いようですし、2000m級ならこれくらいかとも思いますが。

去年の戸隠山はもっと進んでたと思うんだけどな。

 

紅葉の時期に再度行くとは何だったのか。

 

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もこもこ煙立ち込める。

鳥居から20分ほど歩くと、樹林帯がバッと開け、

ここで焼岳の全容がようやく目に入ってきました。

 

な、なんじゃこりゃ!コケから煙が出てる!こんなの初めて見た!

 

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やあ、1ヶ月半ぶり。

そして目の前に広がる霞沢岳。広がる上高地

ここまで約3時間でしたが、一気に高山の空気感に満たされました。

 

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童話の世界。

秋晴れの和かな高原の雰囲気漂う稜線。

鈍色に輝く穂高連峰を背に、焼岳の頂を目指します。

 

次回へ続くんじゃ。