山で毎回見かけるアレ。
先日、檜洞丸に行きましたが、その時の帰りに拾ったゴミです。
僕は山に行く際、飲み終わったペットボトルや持参している袋に、
落ちているゴミを拾って持って帰ってますが、毎回こんな感じの有様です。
拾うゴミは様々です。
・空き缶のリングプル
・錆びた空き缶
・割れた空き瓶
・使ったティッシュ(水に溶けないものは当然ですが、溶けるものでも前提として持ち帰るべきです)
・コンビニのビニール袋
・タバコの吸い殻(論外。目撃したら蹴り倒してやろうか。)
・破損した道具、ストック、カラビナ
意図的に捨てたであろうもの、中には思わず落ちてしまったものも多分に含まれているでしょうが、その中で最も拾うのが、
飴やチョコレートの個包装です。
今回も喉飴や塩飴、ブラック〇ンダー等の個包装や、その切れ端を拾いました。
ペットボトルの中にある半分以上は個包装です。
まず言いたいことが1つあります。落とすなら使うな。
個包装は確かに便利です。手も汚れず、嵩張らない。
1パック持っていく必要はなく、その都度補充すれば良い。
溶けにくいから夏でも使える。チョコレートはカロリーも高い優秀な行動食です。
でも誰しもが分かってると思います。使えば当然ゴミが出るんです。
そのゴミをどう処理していますか?
多分僕の想像でしかありませんが、道中にこれだけ落ちていて、
「意図的ではない」とするなら、
そのまま服のポケットやザックのサイドポケットに入れてるはずです。
そして鎖場や徒歩中にそのポケットから「たまたま」落ちてしまっているのではないでしょうか。たまたま、ね。
僕は落として困るものは絶対にポケットにそのまま入れません。
財布や車のキーはもちろんザックの奥に仕舞いますし、一欠片のゴミであっても同じ。
飲み終わったペットボトルに入れて口を閉め、サイドポケットに入れて落ちないようにする。
ペットボトルなら、ほぼ確実に落ちませんからね。
「来た時よりも美しく」
「備えよ常に」
これは僕が10年以上前のボーイスカウト活動で、堅く言われていた言葉です。
どれだけ綺麗な写真を撮ろうが、どれだけ難しいことをしようが、
ゴミを捨てるような人のしたことは無価値だと教えられました。
また、自然活動に100点はないが、99点を取りにいく(=準備しない)者は落第だと。
僕はこの2つは徹底的に言われましたし、実際その通りだと思います。
「たまたま」「仕方なく」「偶然」。
あなたがどんなに偉業を成し遂げた人でも、自然や山の管理者にとって赤の他人です。
知り合いでもない人に自分の部屋を汚されて、「仕方ないんです、許してください」と言われれば納得しますか?
偶然落としたなんて言葉は、自然に対して何の免罪符にもなりません。
使ったものからゴミが出るなんてことは、今時幼稚園児でもきちんと分かっています。
空のペットボトルやジッパーやビニール袋を持つ。
ゴミは持ち帰る。
大人であるなら心がけて然るべきだと思います。
マザー・テレサの言葉にこんなものがあります。
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、
愛を持って接することです。」
登山者である私たちが率先して山を汚すようなことはあってはならないと思います。
つーかプラスチックの自然分解年数を知らない奴が多すぎ。
数百年かかるんだぞ。数百年。
タイムマシンで江戸時代に行って家の庭に埋めてきたものが、まだ残ってるレベル。
それ考えたら、捨てるなんてありえないでしょ。
どうか僕の労力の1%でも削減してくれたらと思います。
疲れるんだよ意外と。
金時山で行きにはなかったのに帰りにゴミが落ちてた時はキレながら降りてきました。
紅葉期の3連休を終えた高尾山。今日はその「名残り」がありました。紅葉期から年末にかけて、ゴミの投棄が増えます。魅力を感じて訪れた高尾山、また来たいと思える山であり続けるよう、利用の方法も心がけてほしいと願います。#高尾山 #紅葉 #自然公園 pic.twitter.com/cS68OloDHz
— 東京の自然公園 (@tokyonp2017) 2018年11月26日
口汚くなってごめんね。
おわり!!!!!!!!