やあ。
この前部屋の掃除をしていると、TVラックの中からメモリが出てきました。
「懐かしいなあ。」
というのも、僕は以前に安物のコンデジを持っていたのです。
9年前の4月、僕は東京の大学へ通うために上京してきたばかりです。
大学どころか幼少期からのエリートぼっちなので当然大学でも遊ぶ友人はおらず、
(正確には1人気の知れる奴がいましたが、いつの間にか気づいたら蒸発してました。)
これといった趣味もなかったですし
当時発売され、長い間熱中したゲームはまだ発売される前でした。
ですが幸いなことに歩くのは嫌いではありませんでした。
家から歩いて3分ほどで多摩川沿いに出られ、「たまリバー50km」と呼ばれる
サイクリング・ランニングコース(川崎側がそう呼ばれてるのかな?)があったので、
気晴らしに散歩しようとなったら自然と多摩川に沿って歩いたものです。
当時暮らしていたのは東京都大田区の矢口渡(やぐちのわたし)。
「矢口渡」で検索すると初っ端「治安」と出ますが困ったことは一度もありません。
鉄工場の近くだったので休講で寝てたらグラインダーの音で叩き起こされたり、
深夜0時に掃除機かけるクソ野郎お茶目さんがいたくらいです。
ビックカメラ渋谷東口店で購入したFUJI FILMの2万円しないコンデジ。
機種は忘れてしまいました。
いつの間に砂を噛んだかシャッターが閉まらなくなりご臨終となりましたが、
写真のメモリは保管しておいたまますっかり忘れてたわけです。
そして今回の記事はそれから発掘した在りし日の大田区のネコの写真。
画像ファイルがデカすぎたので縮小済。
見どころ。
矢口渡の自宅を出て、多摩川沿いを歩くと対面に見えるのは競馬の訓練場。
空から見るとさながらミステリーサークル。
今では立ち退きが終わった、戸手バラック(TD4)と呼ばれる集落がありました。
(今でも終わってないのかな?)
ひょうたん池で糸を垂らすフナ釣り師を横目に野球場まで歩くと、
港町駅は川崎競馬場の最寄り駅で、競馬新聞を読んでる爺さんとネコが印象的です。
住宅街の中に入り生コン工場を横切ると、土手に上がる道と繋がります。
タワマンの開発によって風貌が変わりましたが、川崎河港水門には多くのネコを見かけました。
この子も水門にいた子です。バッタでも狙っていたのかな。
味の素工場の裏にある、この約2kmの土手には多くのネコが住み着いていました。
タワマンの開発と合わせた芝生張替で、かなり工事が長引いてましたから、
もしかしたらうんざりして離れちゃったのもいたかもしれません…。
近付いたら威嚇してきたりはたまた近づいてきたり、遠目から覗いたりと十猫十色、
この写真の子は度を越えた人懐っこさで誰にでもくっ付いていくほどで、
良く遊んでました。
動画も出てきたので、気が向いたらアップするかもね。
羽田第二水門から伸びる川沿いの道をひと歩きすると、橋を挟んで埋め立て地。
穴守稲荷の大鳥居で参拝して羽田国際空港は目と鼻の先です。
当時国際線ターミナルが出来て間もなかった頃で色々と開発途中でした。
目的地は国内線ターミナル。こちらにも歩いて行くことができます。
ウミネコ。…じゃなくてユリカモメ。
来た道からずっと環八をまっすぐ行くと、羽田空港トンネルが口を開けます。
ほぼ徒歩者はいませんが歩いて通ることもできるトンネル(現在は不明)で、
700mほどの隧道を排ガスを我慢して歩けば、機体整備関連施設のある整備場駅に。
そこから暫くして、ゴールの羽田国内線ターミナル。
これが僕のよく歩く散歩コースでした。大体14kmくらい。
久々に矢口渡から同じ道を歩いて見ようと思います。
どれだけ変わってるのかな…。
川崎や大田区は小綺麗な人から見ると、清潔から遠いのかもしれませんが
だからこそ懸命に生きるネコ達の姿が良く見られた町でした。
写真のネコ達も今ではどこにいるのか、もしかしたら天に上っているのかもしれません。
そんなことをふと思い、ちょっぴり悲しくなりました。
いなくなってしまった人のことも、たまには思い出してね。
じゃあね。