歴史小説の世界。
(その地は)秩父盆地の南に、ひとつの
「チベット的」地形をつくっている村だ。
(岡田喜秋(『山村を歩く』)
秩父の人々の生活を支える湖の裏側、
獣鳴く深山の奥地に、人の気配が途絶え久しい集落群が存在する。
かつて桃源郷と呼ばれたこの地の栄枯盛衰と、その秘密に撮影陣が迫る。
この件いる?
ということでね、秩父にお邪魔しました。お邪魔しすぎてる感がします。
今回は浦山地区の廃村「T集落」「S集落」「C集落」を訪ねてきました。
探そうと思えば案の定一発で分かります。
何とか地理をぼかそうと思ったんですけどね。うん、無理でした。
ここに絡むある建造物が、この話にはかかせないのです。
まあ雰囲気作りと、しょっぱい話すれば検索対策だと思って下さい。
未明から運転してきて、8:00 H集落の公会所に到着。
秩父の山深い地域。野生動物が多いので気を付けて、という話は伺ってましたが
いきなりサル2匹が民家の屋根に登っているところを目撃しちゃいました。🐒
参拝して早速出発。
チチチチ…と名も知らぬ鳥の囀りが聞こえる。
念の為に、と久々に鈴の音を鳴らして歩きます。
この道は「最低1回は何かしら動物と出会う」と言われてるほど『濃い』道だそうで…。
ひ、人が、看板に!?
降雪量も多く、古くは集落の人達総出で分担して雪かきをしたそうです。
そんな気候じゃそら看板もダウン着るわ。
矢印の方向に少し歩くとベンチがあって、木の間から湖が見られます。
あんまり展望はよろしくないな。
看板を過ぎると舗装路は途切れ、ここから山道へと繋がって行きます。
このU径は、下を走る県道XX号線が通じるまでは、村々の生活基盤の中心にあり、
人馬がすれ違えるか危うい程の狭小な山道でしたが、
しっかりと浦山地区の最盛期を支えた主要道として、名を残しています。
そんなU径を進むと間も無く現れます。T集落です。
崩壊した土蔵からは、中の木舞が露出して、
倒れそう、いや倒れまいと、一歩手前で踏み止まらんとする漢の風体を見せています。
彼が倒れる時、また1つのドラマが終わってしまうのでしょうか。
中を覗くと、蔵の土間にこけしが飾ってありました。
土蔵が倒れてなるものかと思う理由、と取っておきましょう。
さながらヒロイン。
古い蔵の前に箱が置いてあり、中には大正15年の古新聞。
もはや骨董品と言って差し支えない気がしますね。
この荒んだ集落は、「ある筋」で有名な場所なのです。
某会社の製作グループが発売前に資料撮影とするため、某人と同行したとの噂。
その噂の流布もあってか、関東近辺でも名が通っているところの1つ。
僕はホラーが苦手だったので(バイオでパニックになるレベル)、触れたことはありません。
浅間社、産土大神、大山祇命、産王大神、天満社、諏訪大神
丹生大神、天王大神、八幡大神、高根神社、秋葉大神、
と(多分)この神社の神様を合わせると12の社になる。
比較的手入れが行き届いていて、正月等で地元の人の集まりがあるみたいです。
T集落で旅の安全を祈願し、先に進むことにします。
何時ぞやに、何者かがお地蔵様を勝手に持って行ったみたいです。
「返して下さい」とお願い事が書かれていました。
不埒な輩もいたものです。とっていいのは写真だけ。
紙切れ1枚も人のもの。当たり前のことはきちんと守りましょう。
馬頭観音にミニカー。
写真撮ってる時は「…?」って思ってましたが、馬頭観音のルーツを考えると
「あーっ」って納得。
こういうとこ少し詳しくなったら、旅が面白くなるね。
私はそれから檜の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、
樹の中を潜って草深い径をどこまでも、どこまでも。
まるで小説の一頁のような風景。
あ、藪漕ぎするような道ではないですよ。
人一人が歩くのにやっとの道を、当時の行商人が、
茹だる夏に笠を被り、額に汗を浮かばせて、籠を担いで村に向けて歩みを進める。
そんな情景が目に浮かぶようです。
比較的開けたところまで進むと、大黒天と聖徳太子尊が腰を据えて待っていました。
聖徳太子が法隆寺の建立に関わったことはあまりにも有名な話ですが、
建立の為に多くの大工や木工職人が徴用された経緯から、
職人らの間で、聖徳太子の忌日2月22日が「太子講」と定められました。
この地に住まう人々も、山木を伐り、薪や炭焼、木細工を生活の糧としていました。
林業従事者が多くを占めていたこの地と太子講は、密接な関係があったのでしょう。
少し進むとA集落とC集落の分岐が出てきますが、今回はCへ進むことに。
ふと下を覗くと石積がありました。S集落です。
S集落は非常に規模が小さかったようで、昭和には空き家化していたとの話があります。
ですがコンセントや電球も見え、この地に明かりが届いたのはそう遠い話ではない為、
離村の声が出て間もなく空き家になったのかな…。
目立つものは無く、石垣がその地に人の手があったことを声にするよう。
鍋が自然の力に負けています。
いいぞ、もっとやれ。人間の作ったものを滅ぼすんだ。頑張れ、頑張るんだ。
人の営みもゆっくり飲み込んでいくような自然の浸食。
こういうのを見るのも、廃の醍醐味ではないでしょうか。
ここに住まう人はお酒が好きだったのか、多くのビンが飛散していました。
三樂オーシャン株式會社。調べてみると、メルシャンの以前の会社名のようです。
メルシャンワインの製造工場が藤沢にあるんです。よく車で通りました。
こんな何気ない瓶から、秩父の山奥と藤沢が繋がる。面白いものですね。
先が平たい農具らしきもの。
鍬にしては違和感ほとばしる形だな・・・多分レーキかな?
シュロ。
園芸としての意味合いしか知りませんでしたが、かつてはブラシの原料にもなったとのこと。
シュロ縄にでも利用していたのかな。
ここに生えてるシュロは、街路樹的役割があったのかなーと思います。
見えにくいですが斜面にうっすら道があって、どこか別の場所と繋がっていた形跡がありますし。
森の中だとどこがどこだか分からないからシュロを目印に、って説!どうかな。
(お墓もあるみたいです。もしかしたらここで繋がってるのかな。)
今回はここまで。次回「C集落」編。
(※廃村探索は非常にデリケートな趣味です。マナーを守った上での娯楽だと言うことを意識した
行動をお願いいたします。)