冷や汗かいた。
西丹沢の奥地に廃集落があるということは、登山を始めて間もなく知った話だった。
車で向かうことは出来ないが、材木を運んだ森林軌道が林道として使われている。
そして古く集落が存在していた頃に使われていた、今は亡き廃道の存在。
今回はこの古道歩きへ向かい、そして無事敗北してきた話です。
ということでね。
早朝7:00、西丹沢の世附権現山の麓にある上ノ原集落に到着。
今回の目的地は、地蔵平という廃集落です。
集落の中にある大室生神社にて参拝。
地蔵平についてですが、その昔西丹沢では各地の山々と同じように林業が盛んでした。
山奥から平地への木材運搬用の森林軌道が敷設され、その軌道に集落が形成されること、
これはどの山林地域でもごく一般的に見られ、
今回向かう地蔵平も森林軌道の終着点にできた集落です。
大正~昭和にかけ山林労働者の集落が形成され、最盛期には200戸超の世帯が
地蔵平に居を構えたと聞きます。
集落内には分校も建設されており、子供たちで賑わったことでしょう。
昭和中期以後我が国の林業比率は右肩下がりとなり、地蔵平もその影響を受けます。
今から60年前には分校も37年の歴史に幕を閉じ、間もなく地蔵平から人は絶え、
いつしか建物も取り壊され、公の地図からもその名が消えてしまいました。
浅学な僕よりもよほど詳しく纏めて下さっているサイトがございますので、
地蔵平の深いところはそちらをご覧くださいまし。
地蔵平から材木を運んだ世附森林軌道は現在林道として舗装され、
一般車両は通行不可ですが、渓流調査や山岳保全で使われているとのことです。
で、本題。
地蔵平へ向かうかつての生活道路は1本だけではありません。
そこで絡むのが山腹を経由した廃道、三ヶ瀬古道です。
界隈では「さかせ古道」という呼称もありますが、
三ヶ瀬とは山向こうの道志村にある三ヶ瀬川流域の地名。
本来なら「さがせ」(さがぜ?)と濁るので、情報が不確かなまま流れた名前が定着したのでしょう。
更に言えば、本来は地蔵平~三ヶ瀬間の道のことを指すのですが、
現在では上ノ原~世附権現山への中間地点である
二本杉峠~地蔵平間の道も同様に呼称することが多い。
今回は僕も後者の意味で使います。
三ヶ瀬古道は正確な年代は不明ですが、現在では完全に廃道化しており、
西丹沢でもよほどの物好き以外、滅多に歩く人がいません。
上は昭和55年発行の「国土地理院地図」下は現行の「山と高原地図」で、
赤で囲ったところは二本杉峠から屏風岩山への破線ルートの一部です。
比べてみると、昔は山腹を回って取り付いていたことが見て取れます。
GPSで確認したところ、この軌跡と三ヶ瀬古道の一部が一致したことから、
昭和55年頃までは登山道の一部として認識されていたと推察できます。
道中、何かを取り囲むように石積がされてました。
井戸という気もしませんし、基礎にしては小さすぎる。
恐らく大木の倒壊防止・保全で作られて以後、当の大木が取り除かれたか。
さて、1時間ほどで二本杉峠へと到着しました。
ここまではさほど多くはありませんが世附権現山や屏風岩山への登山者もいる模様。
今回も下山中にすれ違いました。
二本杉峠は多くの登山道が集結する場所。向かいの道が三ヶ瀬古道への入口です。
富士山信仰の類でしょうか。うーむ。
ここからは靴幅2つ分ほどの道を通ります。
山岳廃道として、踏跡はむしろ鮮明な方です。
オブローダー間ではかなり有名な道ですし、地蔵平を調べれば自ずと話題に出てくるので、
僕のような物好きが結構通るのでしょう。
古ぼけた木が道を閉ざして長いのか、緑の侵略者に成すすべなく。
進んですぐに分岐がありますが、一見道に見えない左が正解。
右は屏風岩山への道か、山林保全用のルートでしょう。
標高差という意味ではさほど変わりはなく、アップダウンに苦しむ道ではありません。
所々に緑があり、西丹沢の趣を感じます。
その思いもつかの間、1つ目の崩落地が姿を現しました。
写真右の木にザイルが緊結されており、掴みながら涸れ沢に降りて再び上り返す。
言うは易しですが、西丹沢沢沿いは落石が特に酷い地帯。
どうして落石が多いのか、具体的に言うと、
これを掴むと、
こうして
こうじゃ!
このように、パイ生地のように本当にポロッと取れてしまいます。
岩質なのか、凍結破砕作用なのか。ありとあらゆる石が天然ミルフィーユです。
西丹沢では石を掴む、石に体重をかけるはほとばしる死亡フラグなので特に注意。
そしてロープで滑りました。マジで寿命が縮まるわ。
涸れ沢に降りると、昔ここにあったであろう残骸が埋まっていました。
(このような標識が埋まっていたことから、やはり生活道路としてだけでなく
一昔前は一般的でないにしろ、登山道として利用されていたことは明らかでしょう。)
ごめんな、お前を復旧させる力は残っていないよ。
ここから20分ほど、細かい涸れ沢を渡ったりしていると開けた場所に出ました。
話に聞く以上に崩落が激しいV字谷地点のお出ましです。
恐らく近年も断続的に土砂崩れが発生しており、完全に道が分断され、
先に通ったザイルのような一時措置も無い為、事実上の通行止め状態です。
一応沢筋に降りてからの上り返しを考えましたが、ルートが不明瞭だったので断念。
(同レベルでうっすら見える道はありましたが、そこまでの到達が困難。)
そもそもどこを見渡してもザレた道で、沢筋に降りること自体が危険すぎる。
こんなところで怪我してもつまらないので、早々に撤退することに決めました。
少し降りた所にハナネコノメソウが生えてました。
かわいい。けどマクロがうまく働かないね、君。
危険の多いロープ場は幸い無事に終え、二本杉峠に戻ってきたあたりでようやく一息。
世附権現山か屏風岩山に登ろうかと考えましたが、面倒臭さが勝って下山することにしました。
今回の反省としては、丹沢の廃道の危険性を少し軽視していたことが否めません。
ロープで滑った時に大きな怪我をしなかったのは、本当に運が良かったと思います。
三ヶ瀬古道は近い将来、本当に誰も通れない道となることでしょう。
歴史が潰える前に一度見てみたいと思いましたが、その時は地蔵平側から行くことにします。
はてさて、叶う日は来るのやら。
今回の道は非常に危険なので、軽々しく通らないことを強く勧めます。
その後は温泉入って『皇国の守護者』読んで、寝て帰った。
まあこういう日もあるよね。
それじゃ。