杉林の中で。
奥多摩町氷川から歩いて、およそ2時間かかる三ノ木戸山。
その山の手前に、人が去り久しい廃村がある。
絹笠集落跡。
氷川の小字の地は、期待以上に僕の探索欲を湧かせることとなった。
ウス。
前回の続き。
駅に戻ってきて、次に廃村巡りへと向かうこととしました。
まずは日原川の向こう、羽黒三田神社へと向かいます。
羽黒三田神社は、人気トレッキングコース奥多摩むかし道のスタート地点。
前回は「初っ端からこんな階段登りたくねーよ…」とスルーしたんだっけか。
実は、本堂は階段の更に向こうにあるとの話を知ったのは後日で、
あの時登らなくて正直助かりました。
今回向かう絹笠集落跡は、冒頭で説明した通り、
氷川から見ると、三ノ木戸山の手前のピークに構えています。
三ノ木戸山と言われてピンと来ない人も、隣の六ツ石山は聞き覚えがあるでしょう。
三ノ木戸山~六ツ石山間は奥多摩三大急登と呼ばれる「石尾根」の最端部です。
雲取山から続く石尾根縦走は奥多摩屈指の体力を要求されるルート。
民家も無い車道に出たところで視界が広がる。
「まさに『奥多摩』だなぁ。」
杉林の秘境といった風景、僕は好きですよ。花粉症の方々には気の毒ですが。
エイザンスミレ?
いつもタチツボスミレばかり見かけていたので新鮮な気持ちです。
いつもメガネかけてる子が、今日はコンタクトで来たようなアレです。
今でも住人の多い農指(のうざす)集落に到着しますが、特段何もなく割愛。
奥多摩に多い「指(さす・ざす)」という地名は、焼畑農地があった証。
目的地は舗装道から山を登った先にあります。
そういえば普段諸々の理由で廃村の名を出すことは控えていますが、
絹笠集落に関してはそもそも六ツ石山に登る多くの人が経由地にしていること、
残存している住居が神社以外無いことを考えて、今回は大丈夫かなって。
石積が見えてくると自ずとテンション上がります。
登山日和だけど、僕がここに来たのは10:00過ぎくらいで、
逆に登山には遅すぎたので六ツ石山登山客とは会わなかった。
大きな敷地に黒焦げの土台が敷かれていました。
少なくとも13年前まではここに立派な屋敷が残っていたみたいです。
いつの日か火事が起き、今では炭になって無くなってしまいました。
絹笠集落の成立は存外に古く、
武蔵国のあらゆる村の情報を調査して纏めた『新編武蔵風土記稿』には
氷川村枝郷 栃久保
小名(小字の意) 初縄田、日向、上栃久保、長畑、留計、南ノ上
能指、城、衣笠、栃沢、向寺地、不老、白岩、清田
との記述があり、
少なくとも1830年頃には小字ではあれど、集落として認知されていました。
何年物かも分からない自転車。
日米富士自転車(現:FUJI BIKE)と思われますが、特定が難しい…。
「何故こんな不便な土地に村を開拓したのだろう。」
急斜面の山村よりも、開けた土地と豊富な水があり、川魚を捕まえられる麓の方が
生活基盤上で大きなメリットがあります。
食糧事情は狩猟や栃の実等で自給出来ても、
豊かな水がないということは農耕においてもディスアドバンテージですし、
場合によっては生活のため麓まで汲みに向かう必要すらあるわけです。
ですが「水に近い」ということは必ずしも利点だけとは限りません。
特に奥多摩と水害は切っても切り離せない関係にあり、
記録に残っているだけでも1859・1909・1917年に大洪水が奥多摩を襲い、
沿岸の各村は甚大な被害を被ります。
また谷合では土砂崩れが直撃するケースも多く、
記録に残っていない昔にも、各所で被害があったと考えられます。
自然災害で家を無くした人々が、逃れるように山腹へ居を構えたケースはありふれた話で、
この集落も諸々の災害と利便性を天秤にかけて作られたのではないでしょうか。
この建物は貯水槽ですかね。
湧き水をどこからか引っ張って来て、各家にビニールパイプで繋いでいた形跡があります。
取り出し口の数も7本で、ここに住んでいた世帯数と合致。
離村時期は判然としませんが、2006年の家屋の保存状態から推察すると、
昭和50~60年の辺りかなと思います。
この巨木は枯れ果て、今まさに朽ちていこうとしていますが、
当時は村の里木として親しまれていたのかな。
集落の道を進むと突き当りに石仏が佇んでいました。
左方には字が刻されており、
甲子侍供(?)養同行(右)
享保十□巳四月八日十三□(左)とあります。
右はにわか知識じゃさっぱど分がんね。享保は1716~36年。
それほど昔の石仏で、最近まで家屋が残存していたにも関わらず
絹笠集落の記録は不思議なほど出てこないんですよね…。
石仏の隣には一枚岩が敷かれていました。
疲れた人が座るベンチでしょうか。
集落の最上部には今でも鳥居と祠が残っています。
紙垂は真新しく、最近になって付け替えられたと見えます。
今でも足繁く手入れに来る人がいるようですね。
正式名は「絹笠神社」で平将門を祀るそうですが、集落の産土神は別にあり稲荷明神。
平将門由来の地は、氷川の各所に点在しています。
(地名の由来)「絹笠」は将門が金の笠を置いた所
『奥多摩町誌 民俗編』
文献によっては絹ノ笠(きのかさ)と読むものもあり、響きからはどことなく伝説を想起させます。
近くの城(じょう)集落に将門の城があったとされ、そのまま地名になったとか。
同じく三ノ木戸も。(木戸は城塞の門の意。)
まあ真偽はともかく、歴史的有名人物と所縁があるとは浪漫がある話ですね。
本当は城・三ノ木戸集落も見て回る予定でしたが、思ったよりも時間がかかり、
図書館で郷土資料を読む時間も欲しかったので今回はここでお開きということに。
意外にもここからの下りが結構しんどかった。
最近誰も通ってないみたいで落ち葉がザッフザフ。
帰りには、行きに寄れなかった羽黒三田神社へ。
足早な説明でしたが、もっと色々話したいこともあるので
またどこかの時で絹笠集落について触れようかな。
久々に廃村を堪能できましたし、何より多くの文献が残る奥多摩にして、
ミステリアスな雰囲気を今なお残す興味深い集落でした。
朝から昼まで歩きっぱなしだったので水根に帰るバスの中で寝て、
起きたら熱海(4つ先)でした。30分近く歩いたわ…。
そして夜を明かして翌日へ続く。
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参考資料・文献
『新編武蔵風土記稿』
『多摩の歴史』
『おくたまの昔話』
『奥多摩歴史物語』
『奥多摩町誌 民俗編』
『編年奥多摩町誌』
『奥多摩町異聞』
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ばばばばい。
(※廃村探索は非常にデリケートな趣味です。マナーを守った上での娯楽だと言うことを意識した
行動をお願いいたします。)