あったかい。
前回奥多摩を後にして、向かった先は山を挟んだ向こう側。
何気に初めて訪れる東京本土唯一の村、檜原村。
古民家が立ち並ぶ東京の深山を歩く旅、それが2日目の目的です。
早朝に麓の藤原へ到着。
今回向かう小林家住宅は10:00開館。暇なので麓で寝てました。
9:30に総角沢モノレール駅駐車場へ到着。
小林家住宅は山の上にあります。つまり登らなければなりません。
「えーっ、観光に来たのに歩くの!?」とお思いの方へ朗報。
福祉モノレール🚝
エンジン式のラックピニオン式モノレール(西日本で言う「みかん山モノレール」)が、
自家用車が入れない急傾斜の山間部、計5カ所に設置されている。
傾斜の大きい路線(小林家住宅)は最大斜度43度に達する。
電話予約しないとモノレールが下りてこないので(ちなみにdocomoの電波が来ない)、注意。
僕はそもそも歩きで登る予定なので、モーマンタイなのじゃ。
歩いて登るルートは駐車場すぐ傍。
総角(惣角とも表記あり)沢を渡ります。舗装路があるので安心安全!
しかし思ったより坂道の傾斜が厳しい。
厳しさで表すと…うーん0.5タカオくらい!
高尾山1号路の最初の30分よりかはマシだと思えば伝わるかな。
エイザンスミレ。
今回は平日の昼日中にしては、結構な観光客が見られました。
通算1時間弱で6組9人くらい見かけたかな?
モノレールは時折順番待ちが発生するほどだそうです。
いやー良い景色です。
ぜーはー言うとりますが。
いつになっても体力が付かんなぁ。
まぁ、たまにしか山登らないからな。しょうがねえですよ。
タツナミソウの仲間。
お手手差し出してるみたいでかわE。
アスファルトの横ににょきっとワラビ。
もともと桧原の農作物は自給自足的な生産物であり、
近年の換金作物として
シクラメン、蕨、牛乳(牛の飼育)があるくらいである。
(『檜原村史』)
息切れしながら小林家住宅に到着。
本日は午前中は雲一つない快晴、花も満開。縁側に座ってゆっくりできました。
都の重要文化財小林家住宅。
急な山岳地域に、なぜ古民家が残されているのか。
そこには昔の生活と絡む合理的理由が隠されているのです。
まず、小林家住宅のある檜原村は古くから炭焼きを行う山村であったとされ、
小林家住宅も例外ではありませんでした。
その際に問題となるのが、「どの道を通り、どこに売りにいくか」。
単に麓に降りても檜原ではどこも炭焼きをしていましたから、当然販売先になろうはずもない。
山を越え主に五日市の方まで売りに行き、日々を暮らしていたようです。
そして五日市までは馬に乗っても早朝に出て夜近くなるほどの距離でしたし、
加えて山村の日々の暮らしは災害と共にありました。
今でも土砂崩れの絶えない檜原村で、防災設備のない時代。
谷合に降りることは大きなリスクが伴いました。
更に炭売は冬も大忙しです。厳冬期こそ稼ぎ時でした。
それを考えると、わざわざ麓まで降りて災害に遭うより
いっそ山越えして雪崩や山崩れに巻き込まれるリスクの少ない、
険しいが通年使えるルートの開拓。
これこそが東京最西端の炭焼集落の生命線となったのでしょう。
(実際に富山の山奥の利賀村では、昭和40年代まで冬は陸の孤島となりましたが
どうしても用事がある際、雪崩を避ける為に尾根を歩いて隣の八尾町等へ向かっていました。)
そして小林家住宅からは、西の三頭山側と東の御前山側、
それぞれの尾根に繋がる小河内峠が比較的近い位置にあります。
麓に鉄橋や舗装路がかかり、歩きやすくなったのは最近になってから。
洪水の被害も薄い尾根歩きは迂回や通行止めの心配も無く、距離も短いメリットがありました。
日当たりも良く山菜や作物が豊富で、昔の「高速道路」に程近い一等地だったと言えます。
小林家住宅が文化財保護に至るまで取り壊されず、長い間この地に根付いた理由は
こういった立地条件で、厳しいながらも生活が保たれたことでしょうが、
なぜこの場所にご先祖が来ることになったのか、それはまた次回に触れることとして。
今回は小林家住宅だけを目的にしているわけではなく、1時間ほどゆっくりして、次の目的地へ。
総角沢から引っ張ってきた清水で沸かしたお茶、大変美味しかったです。
小林家住宅の裏側から、小河内峠ともう一つの古民家へ繋がる三叉路があります。
当日は花と青空が見事でした。一番良い時期に来た気がするな。
隣の古民家へ繋がる道は、崩落も無く非常に歩きやすく、
アップダウンもないので森林浴にぴったりです。
小林家住宅に来たらぜひこちらにも立ち寄りましょう。
途中、当地に住まわれた昔の人の手作りでしょうか。
□□□疋(?)良 施主(右)
文化十□天十一月二日
田之倉三良治(左)
馬頭観世音
田倉勇□郎
200年前の石仏や…。
昔はこの道も、人との交流が盛んだったのかな。
雰囲気がすごい。(ボキャ貧)
旧田倉邸。
明治期の地図を見ると住居が3軒あったようです。
この邸宅は近年に建て替えられたようで、小林家住宅より近代的な造りです。
むしろ僕の母方の実家のような見た目ですね。
あまり情報がありませんが、定期的に催し物の会場として使われており、
山の家・宿泊施設として用いられているとか。
矢印の向こう側に大きな杉があって、その根元から湧き水が出ているとか。
昔はそれを生活用水として用いていたようです。
と、古民家を眺めながら散策していると
ガサッ!
ヒィッ・・・ あ、カモシカ君か…。
ここを通る人は珍しいのか、ジーーーーーーーッと熱い目線をくれました。
カモシカに山で出会うのは御岳山以来です。
田之倉家にて
— 成瀬晶 (@akiranngo_M) 2019年4月20日
カモシカちゃん pic.twitter.com/PC2FtLJq61
僕の進む道に立ち塞がっていたのですが、近付くと
「仕方ないなぁ」とも言いたげに、のそのそと山道へ戻っていきました。
次回へ続く。