古道の風格。
前回の続き。
熊野神社に参拝し、坂を上り詰めていきます。
神社からほど近い馬籠峠はその名の通り、この道における最高点。
天気が良ければ、遠く遠くの伊吹山が望めたと『夜明け前』でも語られています。
中山道は東海道よりも緩やかな道が続き、江戸に向かう女性に好まれたそうですが
そういったポイントがあるのも人気の秘訣だったのかもしれませんね。
また、木曽路を題材にした小説は数多く存在しますが、
「暑い暑い。こんなに汗をしぼる山道って初めてだ。ここはどこ? お師匠様」
「木曾で一番の難所、馬籠峠へかかり出したのだ」
「きのうも二つ峠を越したっけねえ」
僕のようにザックを背負って歩く人もいましたが、宅配サービスを使ったのか
ポーチだけの方を多くお見かけしました。
家族連れや一人旅であったりと様々ですが、やはり外国人の方が多かったです。
ハイキングコースのサイトも英語表記で説明されてましたし、
海の向こうでも、この道は人気が高いのでしょうかね。
今更ながら、ハイキングコースを馬籠→妻籠にしたのは理由があります。
馬籠峠は名前の通り、馬籠からの方が近いんですよ。
馬籠から2km、妻籠からは6kmくらいかかるのかな?
妻籠から登るとゆるやかとは言えずっと登り調子なので、
こちらの道の方が写真や歴史を感じる余裕があるのです。
石仏からは程なく立場茶屋があり、腰かけて一休みすることが出来ます。
ちょうど今頃見ごろを迎えるヤエザクラも非常に美しい。
まさに時代劇の世界です。
ここは一石栃(いちこくとち)と呼ばれる地域で、
写っているのは一石栃白木改(しらきあらため)番所跡。
白木改とは木材・木工品の出荷取締りのことで、ここが絡むのは江戸時代中期。
南木曽岳では『木曽五木』の話をしました。
江戸時代に尾張藩による厳粛な伐採禁止令が布告され、これを破る者には死罪が下った。
ここはその木曽五木が、不正に使われていないかを取り締まる関所でした。
石畳を降りていくと、旧道は男垂(おたる)川に沿い、進んでいきます。
まだ半分あるんじゃよ。
少しは慣れていると言っても、朝に登り昼間も歩き、なかなか堪えますね。
予定では翌日は奈良井宿の鳥居峠を越え、薮原宿へと続く石畳の道も歩いて、
廃校巡りと郷土資料読みふけりと考えていましたが、
流石にグロッキーになるのでやめときました。
古道の風を感じるため、当時の旅人の服装で歩いてみるのも一興かもしれない。
陽光も眩しい春の日でも、少し肌寒くなるほどの涼しさです。
馬籠峠に近い方では僅かだった水量も、この辺りに来るとなかなかの多さ。
茹だるような暑さの日は、この水は天の助けだったろうな。
車道が近いので車やバイクの音が煩いかと思えば、
森と川がその喧噪をかき消してくれる。
ここで車道との分岐があって、迷わず自然豊かな林の道を進む。
実は車道をもう少し進むと更に分岐があって、男滝・女滝というスポットに行けたのですが、
気づいたのはもう粗方下り終わってから。
滝の音を心あてに、細道を分け入ってゆくと、滝つぼの崖の上には、
人もいない滝見小屋があり、辺りには、
霧に濡れた草の花が一面に咲きみだれていた。
「……武蔵様」 お通は、立札の文字を見て、その眼を武蔵に移してほほ笑んだ。
女男の滝とそれは読まれた。
また次の楽しみができたと思えばええよ。旅ってそういうものでしょう。
林を抜けると視界が開け、集落が顔を覗かせる。
下り谷集落。
先述の白木改番所は元々は下り谷にあったのですが、
寛永2年(1749年)、下り谷集落を蛇抜け(木曽地方における土砂災害の呼び名)が襲い、
崩壊した番所は一石栃で再建されました。
喧騒から外れ、時の止まった集落。
きっとここにもスぺクタルが眠っているのだと思いますが、また次の機会。
いつかの時に掘り起こしてみたいですね。
ムラサキサギゴケ?
田園を傍目に見ながら、先へ進んでいく。
もうそろそろ田に水が張り、カエルが降りてくる頃合いでしょう。
田植えの時期か…。ここ10年やってないな。畑より疲れるんじゃ。
一昔前はレンゲ畑は初春の名物、富山でも見たものだと記憶してますが、
子供の頃に見た景色は時代を経るにつれ遠くなるもので、とんと見なくなったなあ…。
この旅路の終わりも見え始め、少し寂しさを感じながら、まだ見ぬ旅路へと進んでいく。
次回へ続く。