深緑。
旧桐谷小学校。
富山・岐阜県境側には数多くの山村があるが、
筋のように入り乱れる峰々に阻まれ、相互往来が非常に困難である。
豪雪により冬季通行が制限されることもしばしば起こる。
富山県市街地から1時間ほど走らせた先にある桐谷集落もその1つだ。
八尾町大長谷へ向かう途中に久婦須(くぶす)川沿いに「桐谷」の標識があり、
そこを曲がって道なりに進むと見えてくるのが桐谷集落だ。
久婦須川は大長谷川と合流し、八尾町中心部を流れる井田川へ名前を変え、
そのまま20㎞の長旅を経て、富山市街の有沢で県内最大河川の神通川と合流する。
桐谷小学校は昨秋にも訪れたので二番煎じにもなるし、沿革は割愛する。
当時は少し枯草が目立ち、新緑の時期にまた訪れたいと思っていたので再訪した。
瀟洒な佇まいからは明治の気風がどことなく感じられる。
旧大長谷小中学校と同日に訪ねたのだが、
旧桐谷小学校に関しては非常に郷土資料が乏しく、満足な情報を得られなかった。
仕方ないと思い大長谷村の沿革を調べていると、数行だけ記述があった。
本県(当時新川県)に学制が実施されたのは明治六年七月十三日で、
県内を五つの中学区に区分し、
それをさらに千十五の小学区に分けました。
(中略)
教進小学校 桐谷村 明治七年三月十日
樹畑小学校 桐谷村 明治七年六月十五日
(『大長谷郷土誌』)
久婦須川を越え南西の峠の向こう側には小井波集落が存在していて、
ここは百人一首の猿丸大夫(さるまるだゆう)ゆかりの地として知られる。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋は悲しき
(『小倉百人一首』)
養豚施設が跡地に設けられているが、集落内には桐谷小学校小井波冬季分校があった。
明治13年開校とあり、それより以前に桐谷小学校が存在していたのは明らか。
そして当日探訪中に、草陰の脇に石碑のようなものを見つけた。
当初何の用途かは不明で写真を撮影した程度だったが、
「教進学舎」の文字から、旧桐谷小学校の開校は明治7年3月10日か。
5年前の写真と比べても現在の崩壊は著しく痛ましい。
またいつか再訪する時に残存しているのかどうか。
夫婦山に登る際に、また足を運んでみようか。
それでは。