前回より のそのそぬるりと始まった、富山県内の廃集落を巡る旅。
「廃集落を巡る」と公言しておいて何だが、廃集落の周辺には往々にして
現役の過疎集落があるものだ。
そこをスルーして行くのも何か心残りがあるので、同時に巡りたい。
下伏(げぶせ)集落。
現在の世帯数9戸、人口26名。(富山市H29住民登録人口)
正確な起源は不詳だが、草分けとなった市蔵なる者が、己が守護神として祀った
村社粟島社の創立年月日は元和2年(1616)。
地名の由来は後述の大蛇伝承において尻尾を抑え伏せた土地という説がある。
集落内の水田にはシオカラトンボが舞い、自然の豊かさを感じ取ることが出来る。
日本人の原風景を想像するような土地だ。
集落奥の神社ではコケが露を弾き、豊かな緑を見せる。
この辺りは依然田池(たいけ)集落だったが、現在は下伏の一部となっている。
田池
下伏部落にあり、昔は湖で周囲凡そ半里余りあつて、湖中には
大蛇が棲息して常に濃霧を吐き、白昼なお暗黒であつたという。
(『大沢野町誌上巻』)
(大蛇は)別だん人に害を加えるようすもありませんでしたので、
そのまま、ほっておかれてきました。
ところが、この夜、大蛇はとても腹がへっていたとみえて、
あろうことか、城生城の殿様の愛馬を食べてしまったのですから
大へんなことになってしまいました。
(『大沢野ものがたり』)
その後老人に姿を変えた大蛇が毎晩城主の夢まくらに立ち、
我が子のように可愛がっていた馬を食べてしまったことを謝罪したが、
城主は頑として聞き入れず、湖に赴き大蛇を射抜き殺した。
その後池は漸次涸渇して良田となつた。
しかし池の中の深い所は今でも数尋(1尋≒1.8m)あるといわれる。
この附近一帯に蛎殻(貝殻のこと)のようなものが多く出るが、
土地の人達は「蛇骨」といつて、粉末として煎じて服用すれば
虐病又は淋疾に特効ありとして、今でもこれを秘蔵しているものがある。
(『大沢野町誌上巻』)
城生城は天正11(1583)年、佐々成政の大軍により落城することになる。
落城の際に大蛇の嗤い声が天に響き渡り
その不気味なこと、深き地獄から鳴るが如しであったと伝えられている。