アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住の20代のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年5月17日~5月21日 旧黒瀬谷村 ①下伏集落

前回より のそのそぬるりと始まった、富山県内の廃集落を巡る旅。

 

「廃集落を巡る」と公言しておいて何だが、廃集落の周辺には往々にして

現役の過疎集落があるものだ。

そこをスルーして行くのも何か心残りがあるので、同時に巡りたい。

変な所で細かい僕の悪癖なのだが、ご容赦頂きたい。

 

ということで今回向かったのは旧黒瀬谷(くろせだに)

 

f:id:akiranngo:20190520204317p:plain

現行地図に表記が残る、旧黒瀬谷村の大字

 

久婦須川の流域に当たるため、久婦須谷とも呼ばれ、又一説によると、

この地域はかつて久婦須川添いに生い茂る杉の森林で

昼も暗かったことから「暗瀬谷」つまり暗い瀬の谷と呼ばれ、

それがなまって黒瀬谷となったと言われます。

                                                                           (『黒瀬谷むらづくり伝承誌』)

-----

明治22年の町村制実施に伴い、18の集落を抱えて発足した。 

地区の中心部に300m近い山が走り、東西で二分された形となっている。

東は久婦須(くぶす)を挟み八尾町、西は神通川を挟み大沢野町と接していたので、

自然と東は八尾、西は大沢野方面への通学形態を常とした。

 

昭和二十八年に八尾町・大沢野町への合併協議が行われる。

村全域を以て八尾町へと合併する声が議会では強かったが、

東側・西側の集落民の話合いが続き、

同年12月、須原(すわら)、葛原(つづはら)、長川原(なんから)、

小羽(こば)、下伏(げぶせ)、土(ど)、根上(ねのうえ)を大沢野町

小長谷(こながたに)、小長谷新、樫尾、岩屋、宮腰(みやのこし)、上谷、外面谷、

北谷、東坂下(さこぎ)、村杉を八尾町へと合併する、国内でも珍しい分村合併に至った。

-----

 

f:id:akiranngo:20190518194258p:plain

下伏集落。

現在の世帯数は9、人口26名。(H27国勢調査)

 

f:id:akiranngo:20190521145224j:plain

地名の由来は不詳。

集落内にいくつかの神社があるが、いずれも粟島社産土神としている。

神社の場所を事前に確かめたはずが、1つ見つけられなかった。

(PS. 創立年月日は元和2年(1616年)。

市蔵という人がこの地を開拓した際、己が守護神として奉斎したとされる。

昔から歯の神として信仰がある。)

 

f:id:akiranngo:20190521150233j:plain

水田にはシオカラトンボが舞い、自然の豊かさを感じ取ることが出来る。

 

f:id:akiranngo:20190517190835j:plain

集落奥の神社ではコケが露を弾き、豊かな緑を見せる。

(PS. 創立は明確ではないが、文化年中(1804~18年)に大神を勧誘して、

社殿を建立して祭祀をなしたという。『富山縣神社誌』)

 

f:id:akiranngo:20190517190836j:plain

神社の登り口には大沢野観光協会の石柱があったが、文字が掠れ読み辛い。

昭和50年の国土地理院地図では神社付近の水田を指して『田池』とある。

 

田池

下伏部落にあり、昔は湖で周囲凡そ半里余りあつて、湖中には

大蛇が棲息して常に濃霧を吐き、白昼なお暗黒であつたという。

                                                                                       (『大沢野町誌上巻』)

 

f:id:akiranngo:20190520210851j:plain

5月中旬の『田池』の一角。

(大蛇は)別だん人に害を加えるようすもありませんでしたので、

そのまま、ほっておかれてきました。

ところが、この夜、大蛇はとても腹がへっていたとみえて、

あろうことか、城生城の殿様の愛馬を食べてしまったのですから

大へんなことになってしまいました。

                                                                                            (『大沢野ものがたり』)

その後老人に姿を変えた大蛇が毎晩城主の夢まくらに立ち、

我が子のように可愛がっていた馬を食べてしまったことを謝罪したが、

城主は頑として聞き入れず、湖に赴き大蛇を射抜き殺した。

 

f:id:akiranngo:20190517190838j:plain

その後池は漸次涸渇して良田となつた。

しかし池の中の深い所は今でも数尋(1尋≒1.8m)あるといわれる。

この附近一帯に蛎殻(貝殻のこと)のようなものが多く出るが、

土地の人達は「蛇骨」といつて、粉末として煎じて服用すれば

虐病又は淋疾に特効ありとして、今でもこれを秘蔵しているものがある。

                                                                                                  (『大沢野町誌上巻』)

 

城生城は天正11(1583)年、佐々成政の大軍により落城することになる。

落城の際に大蛇の嗤い声が天に響き渡り

その不気味なこと、深き地獄から鳴るが如しであったと伝えられている。