アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年5月21日 富山市:旧大沢野町②土集落

前回の続き。

 

雨上がり間も無いので、鬱陶しい羽虫は地表を這いずるばかり。

下伏から坂道を上がって間もなく数戸見えてくる。

 

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(ど)集落。

現在の世帯数2戸、人口4名。(富山市H29住民登録人口)

「どう」とも呼ばれる。

 

起源は判然としないが天正11年(1583)の知行目録にその名が記されている。

下伏の大蛇退治の折、蛇の胴体が倒れ込んだ地と伝えられる。

 

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同地名は岐阜県神岡町でも見られるようだ。

集落内の斜面には、粘土質に似た層が露出している様が見られるため

いつしかそう呼ばれるようになったのだろうか。

 

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集落の奥地に宝永7年(1710)に正福寺が建立、敷地内で明治7年土小学校が開校。

その後樫尾小学校土季節分教場小羽小学校冬季分校と立場を変えつつ

集落の子どもの学び舎として地域に親しまれたが、

昭和52年にその長い歴史に幕を下ろした。

 

正福寺も昭和33年大沢野町笹津へと移築されて現在も残存している。

跡地には有機農業を営む『土遊野』の施設が設けられている。

往年の校舎も施設に転用され、第二の人生を歩んでいるようだ。

 

doyuuno.net

今から20年ほど前、親に連れられて土遊野の養鶏場へ行ったことがある。

当時の記憶は殆どないが、暑い夏と砂利道の景色が印象的だった。

直売所に立寄ろうかと思ったが、ゆっくりと落ち着いた日にでも来るとしよう。

 

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道中の車道で動物が脇をそそっと歩いて行った。

後姿でキツネかと思ったが、顔つきが違うのでテンだろうか。

野生で初めて見たのは初めてだった。

 

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棚田。土遊野の敷地のようだ。

秀麗なる棚田の景色は特筆物だが、更にその歴史を洗うと存外に面白い。

 

農業用水は久婦須(くぶす)の上流に当たる桐谷から取入れて、

宮腰(みやのこし)へと続く『宮腰用水』が文化3年(1863年)に竣工。

 

その4年後、慶応3年に隧道を掘りこの地へと分水させ、

隣の下伏と合わせて105石の開田を成している。

105石と言うと馴染みがないのでピンと来ないが、1石≒1反とすると、

凡そ10.4ヘクタールである。

サッカーコート14枚分、東京ドーム2つと1ヘクタール、1/4バチカン市国である。

 

それだけの田を、トラクター等の耕作機械のない時代に開田したのだ。

夏の日の棚田からはひっそりと、しかし限りない情熱を感じた。