ウス。
ちょっと暑すぎな昨今に嫌気が差します。
今日なんて帯広で38度らしいですね。気が狂いそう。
家にいても暑いなら、暑くない場所へ行くしかないわけで。
というわけで涼しさのお裾分けで、「ある」スポットに行ってきたお話。
「それ」は小佐波(おざなみ)御前山から車で10分ほどの距離、寺家公園に存在します。
この日の帰り。
寺家公園
この公園は、当地出身の医師加藤幸次郎氏が私財を投じ、
京都の嵐山を模して故郷の里山に木石を配し、
昭和5年から10年の歳月をかけて完成されたものです。
(『TOYAMA NET』)
富山市の辺境ですが、行楽シーズンの休日は結構人が来るんです。
紅葉が綺麗な庭園という雰囲気で、結構歩きごたえがありますよ。
駐車場の先に、ぽっかり口を開けて待ち構えてるのが、

池原隧道。
寺家側から入られることが多いので『寺家トンネル』と呼ばれるのが一般的。
距離凡そ300m、高さ2m・幅員1.48m制限の隧道です。
要は軽自動車以下でしか入れないということ。

降りるの嫌なんで車の中から撮ってる。
恐らく完成当時は手彫りそのままの隧道だったのでしょうが、
その後吹き付けや入口の補強工事が行われています。
しかし制限から分かる通り、車両を通そうという気持ちが全く感じられませんが、
それもそのはず、開通したのは今からピッタシ100年前です。

小佐波村
大正八年(一九一九) 舟倉(現大沢野町)との交通路として
隧道が三本開通した。
(『富山県の地名』)
寺家と、このトンネルの奥にある小佐波を繋げる為に掘られましたが、
小佐波に思った以上の経済効果を齎すことなく、
当該地区は富山県でも過疎化が特に激しいとされています。

それでも昔は多くの人に使われていたのだと、
石仏が所々に飾られているのを見ると感じることも多い。

そして先述に「三本」とありましたが、
池原隧道は3本ありまして、先に通ったのが一号、今から通るのが二号、
さらに奥には三号が待ち構えています。

どうでもいい話ですが、『心霊スポット』というのがどうも苦手です。
怖いとかじゃなくて、問題はそのスポットに来る一部の者達が好きになれない。
歴史を見ずに、跡地があれば何でもかんでも幽霊に結びつけるのは辟易します。
尤も平成初期からのそういったブームも、今じゃ下火も下火ですけどね。

池原隧道に関しては曰く付きでも何でもなく、
ここに池原集落跡があり、人の往来が盛んであったという事実が面白い。
明らかに人が住むには適さないであろう場所でも定住していました。
それには治水技術が今より未発達だった時代における、
山間部に居住する明確なメリットがあったということを想定させます。

現在ほぼ廃集落と化した小佐波には、昭和30年代に200人以上居住していました。
集落内には麓の福原小学校の分校もあり、児童は30人以上いたという話ですから、
学校の遠足で寺家公園を訪れたなら、
このトンネルを潜って行ったのかもしれませんね。

ちなみに走っている道の分類は『県道』です。県道67号線。
某界隈で言えば『険道』ですね。
道に欠けはありませんが、対向車とはすれ違えませんし、
ハンドルを捌き間違えたらとんでもないことになります。
明らかにそっちのが幽霊より1000倍怖い…。

集落跡地の建物。
G●●gleでは観音堂と出てきました。
集落の神社として用いられていたのでしょうか。

荒廃が激しく、離村時期がいつ頃かは僕も知りませんが
竹林が生えている事から、通いではなく誰かが住んでいたことは間違い無いです。
郷土資料に残ってたら調べてみよう。

跡地の路肩に広がるシャガの群生はなかなかに見事でした。
もうそろそろ見頃が過ぎるかな?

そんなこんなで3号隧道。
こちらはかなり頑強に出来ています。
多分作られて以後、崩壊かして改めて建築し直したのかな。

1号にはコウモリが飛び交っていましたが
2、3号では見られませんでした。
コウモリじゃなくモモンガなら愛嬌があるんですがね…。

3号隧道の外。

この石仏も、いつかは朽ちていくのでしょうか。
人間の作ったものより先に人が離村する中、彼らの行く末が気になるばかり。

『左ハ舟倉道 右ハ山みち』
案内ご苦労様です。ナムアミダブツ!
そのまま大山町へと降りて、家に到着してこの日はおわり。
そんな1日でした。