アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年7月6日 上市町③開谷集落

前回の続き。

 

黒川集落から五位尾集落へ向かう道、

両集落の中間に、ここに集落があったことを知らせる石碑と跡地が存在する。

 

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現行。

開谷(かいだん)集落。

現在の世帯数0戸、人口0名。(上市町H30住民登録人口)

 

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車道から八幡社へ至る道。

集落の起源は町誌で次のように語られている。

 

開谷集落の起源

中世には好田坊、作内坊、奥野坊、源内坊によって開拓され、

近年まで無本山無檀那であったことや、鎌倉、室町期の五輪塔の存在や、

地名「戒壇(僧になる授戒を受ける際に用いられる儀式的聖域)の意から考えると、

立山信仰の霊場として、大岩岩峅芦峅に伍して、

開設された宗教村落と思われる。

                                                                                        (『上市町誌』) 

また別説では水成岩層に貝の化石を含有することから、『貝谷』が

字を変えたとも言われている。

 

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村社 八幡社。祭神は譽田別命。勧請年月日不詳。

一時は七堂伽藍建ち並び、信仰の場として人が集い隆盛したが、

上杉謙信越中攻めの際に兵乱へ発展し、伽藍も灰燼と化した。

当該記録も明治初年の大火で滅失し、詳細な村落沿革は誰も知る由がない。

 

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昭和30年代の開谷。

昭和中期から続いた山間集落の離村の波は、町内でも殊更山深い地区にも届き

昭和60廃村となった。

通いの元住民が耕作や竹林保全を行っているようで、

八幡社の境内も定期的に草刈り保全されている印象が見てとれる。

 

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社から集落跡地への階段。

宗教的な伝統文化は現代でも継承されている。

千本突き、花笠踊り、槍踊り、刀踊り等の様々な伝統舞踊と民間歌舞伎

通称『開谷踊り』『開谷舞諸作事』は町指定無形文化財に指定されているものだ。

 

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平成2年に供えられた薬師の霊水の入口の鳥居。

開谷踊りは昭和5年頃から40年以上公の場で踊られておらず、

集落の過疎化・担い手の高齢化により衰微の一途を辿っていたが、

廃村後に「伝統舞踊を守ろう」という住民の意向から保存会が設立。

現在も南加積小学校の児童の協力の元で継承している。

 

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鳥居を潜ると『薬師の霊水』の矢印。

 8年前に元住民の高齢化を踏まえ映像として残すことで、

後世に舞踊を託すことにした。

伝統の舞、後世に 上市・開谷踊りをDVD収録

DVDは元住民らの内々で渡ったようだが、

往年の開谷踊りの映像は下記で閲覧できる。(7:45~10:05)

 

www4.tkc.pref.toyama.jp

集落内には分校は存在せず、麓の学舎への通学が常だった。

長距離であるため、保護者が子供たちと歩いている間に問題を提示して

勉学を補うといった文化も存在しており、その名残は上市町商店街にも

密やかに継承されている。

 

集落が消えゆく中、その文化は現代にも溶け込んで根付いていることが

感じ取れる集落だった。