前回の続き。
いつもなら下流から始まる集落探訪、
今回は趣向を変え、上流から下ってみようと思い立つ。
蓬沢(よもぎざわ)集落。
現在の世帯数2戸、人口2名。(上市町H30住民登録人口)
名の通り『ヨモギが多く自生する沢があったから』とされる。
現在は草木が繁茂して隠れているものの、目を凝らせばヨモギの姿も見える。
藤子不二雄の漫画『少年時代』では、
戦争中にヨモギを収穫し、火薬の原料としたという話があった。
僕も久しく食べていないが食用にもされ、薬草としても用いられる。
かつてヨモギは日本人にとって重宝された山菜の1つだったのだろう。
集落の興りは今から約850年前の平安時代後期と云われる。
ちょうど平清盛が隆盛した時期に、
信州松代藩から逃れてきた次郎右衛門なる者が、現地に住み着いて草分けとなった。
村社早月神社の前進、立山社の創立が900年前とされているが定かではない。
2km弱離れた折戸集落の村社が立山の男神を祀るに対し、女神を祀る。
相応に古いものと見え、玉垣からは信仰の厚さが垣間見える。
集落規模は明治5年71戸と相当に大きな集落だった。
多くの山村の例に漏れず、高度経済成長後の若年層の離村、
集落全体の高齢化は解決困難・慢性的な問題となり、
それでも昭和48年30戸を越す家々が立ち並んだが
現在の住民は、集落中心から離れた伊折方面道路沿いに1戸のみとなっている。
町誌によると明治7年設置の白萩東部小学校(当時白萩小学校)蓬沢分校があったとされ、
当地の支出目録にも小学校関連のものが頻発しているが、
その位置や幕引きが判然としない。
そもそもの白萩東部小学校は早月川対岸、当地からそれほど離れていない地に
昭和22年白萩小学校の学区を東西分割して建設されたもので、
従って当地の学童も同年本校への通学となったと思われる。
その白萩東部小学校も昭和57年休校、平成17年廃校となる。
現在は公民館と神社、数戸が残存するのみだが、
今でも川から汲み上げて流れる清水からは、
在りし日の子供の足音が聞こえてくるようなノスタルジアがあった。