前回の続き。
下田集落から来た道を戻り、先に降りた分岐を、山側に駆け上がると
次第に道路が広がり、脇に家屋が見えてくる。
折戸(おりと)集落。
現在の世帯数1戸、人口1名。(上市町H30住民登録人口)
かつて峠を下りた所に、数戸の家屋があったことから『下戸』が字を変えたとも、
崩落地を『折』と呼んだことから名が付いたともされる。
集落の草分は戦国時代(1467~1590)。
越中で土肥氏が権勢を振るっていた頃、堀江城(滑川市堀江)領有の城砦、
千石山城の山麓に老臣が住み開いたのが当地の興りと伝えられている。
またそれより早く住み着いていた者もいたとされるが、判然としない。
村社は立山社(雄山社とも)。
近隣の蓬沢集落が立山の女神を祀るのに対し、男神を祭神とする。
この御神体は両手足が欠損しているが、下田金山が栄えていた頃のある夜に
酔った鉱夫が持ち出して、坂を走り下りた際に破損した。
その罰が当たったのか、下田金山は程無くして衰退を迎えることとなったと云われる。
昭和48年17戸を数え、郵便局もあり、地理的にも近隣集落の集合地点でもあった。
頻繁に人の手は入っているようで、今回も元住民かの姿が見えた。
町誌では白萩小学校折戸分校があったとあるが、幕引きは明記されていない。
(PS.昭和2年、白萩東部小学校設立により役目を終える。)
学区の東西分化の際、大字折戸に白萩東部小学校が開校されたので、
近い時期に役目を終えたのだろうか。
白萩東部小学校は平成17年廃校、暫く白萩東部公民館として用いられていたが
現在は更地となっている。
少なくとも5年前までは残存しており、GoogleMapで外観を確認できる。
シーズンになると、ここだけに咲く近年発見された新種、
ツルギオリトキクザクラ(剱折戸菊桜)を見に来る人もいる。
日が差し込める昼日中には、過疎集落とは思えないほどの陽気を感じた。