前回の続き。
旧薬師岳登拝道は①で触れたように、今では辿る道筋がありません。
そもそも入口がダムの底、有峰集落の離村から来年でちょうど100周年。
とうに草木生茂り面影など何一つ残っていないでしょう。
…と思いながら、「こういう道が昔あったよ」という話のネタ集めで
衛星写真を眺めていたのが今回の事の発端。
…んー?
...あれ?
え?これ、道じゃね?
写真を見た直感からすると、雪解け水の筋ではない。
結論から申し上げると、旧薬師岳登拝道はまだ残っている可能性が高い。
ついでに前回零しがあったので補足。
側師(がわし。曲げ物職人。シラビソやトウヒが自生する真川に居を構えた。)の小屋があった所で
跡地に大正12(1924)年、登山家・映画撮影家の伊藤孝一により二階建小屋が
建設されました。(サイレント映画『雪の薬師、槍越え』と題し2000年に放映。)
撮影が終わると無用の長物となり長らく放置されていましたが、
昭和5年大晦日から翌年元旦にかけ加藤文太郎はこの小屋で野営し、
その夜の星空と月の見事さを『単独行』で述べています。
近代登山史の著名な三人がここで交差する…ロマンですね。
で、話に戻りますと
確認できる限り登拝道を最後に用いた記録は、63年前の昭和31(1956)年。
(のちに田部独自の表現で「深林」と著す)にうたれ、当時の登山者が
あまり感じていなかったそれを見い出し世に発表した。
この古道は旧薬師岳登拝道で由緒ある山道であるが、
1955(昭和30)年に筆者たちが太郎小屋(伊藤孝一により建設された)再建のために
廃道を整備し、岐阜県の大多和集落から太郎兵衛平までの資材の荷揚げを
行った思い出深い経験があること。
(五十嶋一晃『田部重治の登山と英文学』)
この年に小屋が豪雪で崩れ、雪解け後に補修したようです。
翌年昭和32年に折立登山道が開通。以降こちらが使われ始めました。
さて、来年の目標が決まりました。
長年薬師岳参詣者に踏まれ紡がれた歴史の道は未だ残されているのか、
これを確かめに行くことにします。
北アルプスの沢は人が繁く入っています。
真川源流もアクセスが良く、沢登りのレコはちょこちょこあるみたい。
でもこの道のトレースは恐らく平成に入ってから一度も行われていないんですよ。
つまりロマンじゃな?
ということで、来年の夏が楽しみです。
3記事に渡ったこの話も一度区切り。来夏にまた掘り返しましょ。