アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年1月16日 上市町⑩稲村集落

前回の続き。

 

千石集落へ訪れてから数ヶ月が経過していた集落探訪の再開。

今回は千石へ行く道中の廃集落から開始する。

 

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現行。

稲村(いなむら)集落。

現在の世帯数1戸、人口1名。(上市町H27住民登録人口)

 

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稲村集落への標識。

集落西方に城山があるが、今から500年近く前に稲村城があった。

鎌倉時代相模国で栄えた土肥氏から分家した越中土肥氏の一族、

土肥源七郎政重の居城であり、その城下に開けたのが集落の起源とされている。

(落城は永禄12年天正年間とされる。) 

 

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明治時代の鎌倉市稲村。

草分けの道林次郎右衛門なる者が相模の出身で、馴染みある鎌倉市稲村ヶ崎

似た地形であったのが地名の由来。(『白萩小史』)

鎌倉は現在こそ賑やかな観光地だが、60年近く前は緑茂る豊かな山が多くあった。

 

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昭和30年代の稲村。

明治5年37戸を数えた家々も、今では取り払われるか朽ちるかして倒壊している。

集落奥の方ではなく、入口の比較的新しい家は人の出入りもごく最近のようで、

いずれお話を伺いたい限りである。

 

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最近まで残存していた平屋。

その頃にはこの建物も綺麗に残存していたようだが、ここ数年間で棟が倒壊したのか

柱が雨に打たれ無残な姿を晒していた。

 

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村社 神明社跡地。

村社は神明社

社殿は既に片付けられ、神額が取り外され立てかけられていた。

社殿跡には『平成十六年十月三十一日』と刻まれた碑が残されている。

維持管理が困難になった已む無しの結果か。

 

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道林梅次郎碑。

鳥居横の碑には『道林梅次郎』と読める碑が残されている。

草分け一族の何某のものだろうか。年代は風化して読み辛い。

 

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上市川ダムと奥大日岳(中央左)、大日岳(中央)。

集落下方には昭和39(1964)年に竣工した上市川ダムが青々とした水を湛えている。

上流の千石と違い、こちらは家々が高台に建てられたため水没は免れた。

 

カモが数羽泳いでいるのを眺め、ふと振り向くとカモシカが走り去る姿が見えた。

次はクマか、イノシシか。恐恐として足早に車に戻ることにした。