前回の続き。
骨原から坂道を下り、麓に戻って分岐を西方面へ進み、再び坂を詰めると
いくつかの家が立ち並んでいる。
水上(みずかみ)集落。
現在の世帯数7戸、人口10名。(上市町H30住民登録人口)
西種(にしたね)集落の小字。
古くは「みなかみ」とも呼ばれたそうだ。
集落の起源は永禄12(1569)年頃。
堀江城落城の際に家老の弥蔵なる者が当地へ逃げ延び、清水の湧き出る地を
開村したのが発祥とされる。
地名の由来は西種から眺めた際に『上の水源地』だったから。
名の通り水が豊富な土地柄、犇めき合うような水田が特徴的だ。
西種の世帯数18戸人口28名。(上市町H30住民登録人口)
通い耕作の方が繁く訪れるようで、ストリートビューでは青々とした水田を眺められる。
西種と東種(ひがしたね)の多くの家々が広がる種盆地北方は開村当時から
腐植土を含む湿地帯を元にした田園『湶田(あわらだ)』であった。
半分に割った竹をスキー板のように足に括り付けて田の上を移動したり、
胸まで泥水に浸かりながら、鍬も使わず手で耕したりする過酷な稲作で
長時間水に浸かることで風土病にかかる者も珍しくなかったと云う。
この稲作は湶田の農地整備が行われる平成13年頃まで続けられた。
その点水上は高台に開けていたので通常の稲作と変わらなかったようだが
何度か近隣集落との水利諍いがあったと記されている。
集落からは里山への登山道が伸びる。
隣の城ヶ平山は『富山の百山』の1つで整備が行き届き、名も知られているが
ハゲ山も眺望に優れ、平野部や剱岳を手軽に遠望できる味のある山として
訪れる人もそれなりにいるらしい。
僕は生憎登ったことはないが、積雪期に行くのも面白そうだ。
村社は神明社。
坂を駆け上がった所に鎮座している。木漏れ日が印象的だ。
更に坂を上がれば浅生(あそ)への道と合流するが、小型車以外はお勧めしない。
神社を後にすると日が沈みかけていたので帰路に着く。
また次回。