前回の続き。
田蔵を離れ、一旦麓まで戻る。
大岩山日石寺を横目に山道を走ること10分、まばらに休耕田が見えてくる。
桧谷(ひのたに)集落。
現在の世帯数2戸、人口4名。(上市町H30住民登録人口)
集落の起源は文亀元(1501)年。
古谷幸造なる者が当地へ漂浪して小家を営み、氏神に浅間神社を奉って
草分けとなったと記されている。
地名の由来は檜林に開かれた村落から。
回っている最中は特に目につかなかったが檜の林の中にあるのが分かる。
明治5年34戸を数える、それなりに大きな集落であった。
近隣集落と同様に炭焼きを生活源にしていた。
間伐した檜を炭にしていたのだろうか。
当時この近くを通れば、檜林の中から淡く立ち込める白煙が眺められたに違いない。
当地の学童は2km先麓の大岩小学校(1983年閉校)まで通学した。
2km先と言えば簡単だが僕の家から中学校よりも長く、更に自転車で往復していた。
それを小学生が徒歩で通っていて帰りは坂道なのだから、その苦労が伺える。
登下校時には上流から降りてきた大沢(おおさわ)や中ノ又(なかのまた)の児童達と
一緒に通学していた様子が目に浮かぶようだ。
古い写真を見ると耕作地が広がっている。
小さい頃は畦道を歩くとカエルやメダカがいて、ちょっとした冒険だった。
時代は違えど当時の子供達も同じ気持ちだったのだろうか。
村社は富士社。
前身の浅間社は富士山信仰から来ているので、その繋がりだろう。
現在登り口は斜面が崩壊し、拝殿は解体されてしまっているが
鳥居あたりはなかなか日当たりも良い。
ただ茨が繁茂しているので来訪の際は長袖を推奨する。
解体前の富士社の写真。
御神体のような手前の巨樹も伐採したのだろう、見当たらなかった。
往時はこの神社でお祭りもしたのだろうが、今では寒々しい風が吹いている。
集落の上方に行くと今年も耕したであろう耕作地が見えた。
また来年に再訪して、往時のお話でもお聞きしたいと思うばかりである。
車を走らせて更に川の上流へ向かった。