前回の続き。
桧谷から道なりに上流へ上がること10分程、
橋を二度渡った先、川沿いに平坦地が開けてくる。
大沢(おおさわ)集落。
現在の世帯数1戸、人口3名。(上市町H30住民登録人口)
集落の起源は明応3(1494)年。
村社伝承によると中山元秋なる者が当地に居住して一村を開いたとある。
山間の沢上に開けた村であったことから名付けられたとされる。
全国各地に有触れた地名だが、ちなみに『大沢』の北限は北海道、南限は鹿児島だそうだ。
明治5年24戸。家屋の多くは大岩川沿いに集中していた。
大正8年に大岩小学校大沢冬季分教場設立。
大沢と中ノ又(なかのまた)の1~4年生はこちらに通うこととなった。
5・6年生は冬でも片道3.5km標高差230mもある麓の本校へ通学した。
分教場は昭和43年閉校し、現在はそれと分かる代物は残されていない。
離村は昭和50年頃から始まったとされているが詳細・沿革は不明。
現在でも比較的真新しい家屋が建てられているが、
地元猟師が通いで使用しているとの話を聞いた。
集落から約2km奥まった山中にある大沢の大滝は落差30mの直爆で
『とやまの滝』でも残雪期の僅かな間以外はお勧めしないとあり、
県内でも特段名が知られた瀑布ではないが15年近く前、道が開通したようだ。
今ではどうなっているか。
昭和30年代の航空写真では、滝のすぐ手前で耕作地が確認できる。
通うには若干険しい点から、もしかすると密やかに隠遁生活を送っていた者も
いたのかもしれない。
村社は熊野神社。
立派な拝殿は残されており、手入れをされている様子も見える。
前述の方が通いの合間に管理されているのかもしれない。
苔生した緑の階段を下りる時の風景が印象に残った。
集落東部に上りの車道があるが、落石が見える。
車を降りてこの道を辿ってみることにする。