前回の続き。
管理釣り場やテント・コテージ・バーベキューを楽しめる森林公園『天湖森』は
県民に名の知れたアウトドアフィールドだが、その駐車場の奥に集落がある。
割山(わりやま)集落。
現在の世帯数0戸、人口0名。(富山市H29住民登録人口)
集落の起源は元禄年間(1688~1704)。
元は北東の岩稲(いわいね)集落の枝村であったが、独立して一村落となった。
今も林中にあるように、山林を割り開いて村を作ったことが地名の由来とされる。
慶応4年22戸103名を数え、戦後も16戸が当地で暮らしたそうだが
昭和20年代末から離村の波が訪れ、僅か10年で集落の半数が当地を後にした。
多くは麓の楡原(にれはら)など、近隣の集落へ移り住んでいる。
無住集落の詳細な時期は不明だが昭和47年1戸2名、55年住宅地図には記載がない。
北部の井戸・屋敷跡は相当古く苔生しており、離村間もない頃の物と見える。
現在も残されている比較的新しい小屋には通いの方が来ており、
雪仕舞か忙しそうでお話は聞けそうになかったが、たまに住み慣れた当地へ戻り
住居の管理や山仕事を行っている様子だ。
地図からも読み取れるように、開けた東面を除く三方を山で覆われている。
郷土史によれば古く南北それぞれに三十番神堂(現在は南のみ)、
大乗悟山中腹に『佛岩』(北東面の岩壁?)、北の外れに古宮が鎮座していた。
山に囲まれた地では神仏の守護がなければ暮らせなかった、と当時の古老は語る。
そのような地域性からか、西方の大乗悟山は清浄な土地であるとされ
昭和中期に僧が訪れて山中で修行し、傍ら村民に医薬の処方や文芸を教えたと云う。
村社は八幡社。
当地周辺は約2000万年前の海底火山活動により形成された凝灰岩の地層で形成され、
これを割って住居や宮の土台とした。
この岩稲層は遠く福井まで断続的に繋がっていると言われている。
村社八幡宮の狛犬は比較的新しいが、これは平成に入ってから納められたもので
元の狛犬は凝灰岩で作られており、風化を防ぐため別の場所で保管されている。
天湖森のシンボルである土田池は元は土田堤と呼び、灌漑用貯水池だった。
江戸中期に焼け倉山(所在不明。絵図によるとカンナ尾山方面)と引換えに楡原へ譲り渡した。
長い間集落を支えた貯水池も現在は定期的にニジマスが放流され、
県内で数少ない管理釣り場の1つとなっている。