アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年1月28日 富山市:旧細入村②割山集落

前回の続き。

 

管理釣り場やテント・コテージ・バーベキューを楽しめる森林公園『天湖森』は

県民に名の知れたアウトドアフィールドだが、その駐車場の奥に集落がある。

 

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現行。

割山(わりやま)集落。

現在の世帯数0戸、人口0名。(富山市H29住民登録人口)

 

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凝塊角礫岩?

集落の起源は元禄年間(1688~1704)。

元は北東の岩稲(いわいね)集落の枝村であったが、独立して一村落となった。

 

今も林中にあるように、山林を割り開いて村を作ったことが地名の由来とされる。

 

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集落北部、井戸。

慶応4年22戸103名を数え、戦後も16戸が当地で暮らしたそうだが

昭和20年代末から離村の波が訪れ、僅か10年で集落の半数が当地を後にした。

多くは麓の楡原(にれはら)など、近隣の集落へ移り住んでいる。

無住集落の詳細な時期は不明だが昭和47年1戸2名、55年住宅地図には記載がない。

 

北部の井戸・屋敷跡は相当古く苔生しており、離村間もない頃の物と見える。

 

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現在も通いの方がいらっしゃるようだ。

現在も残されている比較的新しい小屋には通いの方が来ており、

雪仕舞か忙しそうでお話は聞けそうになかったが、たまに住み慣れた当地へ戻り

住居の管理や山仕事を行っている様子だ。

 

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昭和50年代の割山。

地図からも読み取れるように、開けた東面を除く三方を山で覆われている。

郷土史によれば古く南北それぞれに三十番神(現在は南のみ)

大乗悟山中腹に『佛岩(北東面の岩壁?)、北の外れに古宮が鎮座していた。

その古宮が明治2年遷宮したのが現在の村社となる。

 

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三十番神宮。

山に囲まれた地では神仏の守護がなければ暮らせなかった、と当時の古老は語る。

そのような地域性からか、西方の大乗悟山は清浄な土地であるとされ

昭和中期に僧が訪れて山中で修行し、傍ら村民に医薬の処方や文芸を教えたと云う。

 

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村社 八幡社。

村社は八幡社

前述の通り、当地に遷座したのは明治2年

当地周辺は約2000万年前の海底火山活動により形成された凝灰岩の地層で形成され、

これを割って住居や宮の土台とした。

この岩稲層は遠く福井まで断続的に繋がっていると言われている。

 

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古い狛犬

村社八幡宮狛犬は比較的新しいが、これは平成に入ってから納められたもので

元の狛犬は凝灰岩で作られており、風化を防ぐため別の場所で保管されている。

 

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『天湖森』の土田池。

天湖森のシンボルである土田池は元は土田堤と呼び、灌漑用貯水池だった。

江戸中期に焼け倉山(所在不明。絵図によるとカンナ尾山方面)と引換えに楡原へ譲り渡した。

長い間集落を支えた貯水池も現在は定期的にニジマスが放流され、

県内で数少ない管理釣り場の1つとなっている。