アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年2月13日 富山市:旧大沢野町④芦生集落

 前回の続き。

 

笹津(ささづ)から『八百羅漢』の案内に従い左折、

神通川の流れを右手に曲折する道を走り暫くすると、石像群が見えてくる。

 

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現行。

芦生(あしゅう)集落。

現在の世帯数1戸、人口2名。(富山市H31住民登録人口)

「あっしょ」とも呼ばれる。

 

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由緒不明の碑。

起源は定かではないが白鳳年間(650~654)に塩を求めた者が訪れた言い伝えがあり、

元久元年(1204)真言宗法雲寺を創建したと楡原(にれはら)上行寺の由緒書に記される。

 

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金剛界大日座像。慶応3年(1867)。

地名の由来は(アシ)が多生した地から。

今では葦は『ヨシ』と呼ばれ、8世紀初頭ネガティブな印象を持った名称を変更する

好字令公布の際に『悪し』に通じるので『良し』に変えられたと云われる。

 

現に近辺で吉野(よしの)集落があり、これは通説では葦(ヨシ)が多生するからとされるが

何故一方だけアシ、他方がヨシなのかは町史でも言及されていない。

両村落の成立年の差に関係すると推察すると、当地の由緒は相当古いと考えられる。

 

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三十番神堂。

他説では塩が取れたことに由来するとある。

採掘された記録はないが『宝暦14年旧蹟調書』には集落内に『塩壁』があり、

高さ11間幅7間、晴天時には所々白い塩のような砂塊が噴出する砂岩層で

実際に舐めると塩味を感じたらしい。

南方川縁の岩壁にあったが、神二ダム建設によって消失してしまった。

「あっしょ」の呼び名にも通ずるものがある。

 

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神通川対岸からも目立つ『ふれあい石像の里』。

笹津から芦生に入る道沿いに、スーツや着物を着た夥しい石像の数々を目にする。

ふれあい石像の里』は県内の実業家故古河睦雄氏が世界一の石像群名所を作ろうと

親しい友人や恩人を元にした、風変りな石像の数々をこの地に座したもので、

芦生にあるものだけで420体、全体で1200超にもなる。

対岸からも容易に判別できる、神通峡の珍名所の1つになっている。

 

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昭和50年代の芦生。

明治5年20戸99名。

薪炭の製造、薙畑(=焼畑)の耕作を行ったが、背後の山が近く急傾斜な土地柄

耕作地は狭小なものだった。

現在は僅かな耕作地も殆ど全て放棄され、草葉の陰に隠れるように蹲っている。

 

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村社 八幡宮

村社は八幡宮

伝承によると文政3年(1820)建立奉斎。紙垂は真新しく、手入れの程が伺えた。

 

物静かな集落を後にして、うねる道を南上していく。