アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年3月15日 呉羽山丘陵

ウス。

もうこの時期になれば身も凍るような寒さは姿を潜め、

啓蟄ともなれば山で虫が羽搏く姿を目にする日もそう遠くない。

 

鬱陶しい虫のいない内、一足早い春先を楽しむトレッキングへ興じましょう、

ってなことで呉羽(くれは)山丘陵をお散歩がてら歩いてきました。

 

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県民ならまず知らない人はいない。県中心部を南北に走る丘陵。 

丘と言えど『富山の百山』の1つ。

近隣住民のランニングや散歩コースとして賑わい、

県民マラソンが近づくと、沢山のランナーが走る姿を目にします。

 

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車を五百羅漢の駐車場に停めて歩きます。

ここの石仏は1つ1つ表情が違い、どんな顔の人にも必ず1体似ているものがあるとか。

 

まぁただ歩くだけは味気ないので、呉羽山について語りましょう。

 

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日本最古の現存歴史書物『古事記』によると 

又貢上手人韓鍛・名卓素、亦吳服西素二人也

(また百済国は朝鮮系鍛冶職人の卓素、中国系機織職人の西素と申す者2名を献上した。)

                                                                                           (『古事記』)

 

とあり、また『日本書紀』では

身狹村主靑等、共吳國使、將吳所獻手末才伎・漢織吳織及衣縫兄媛・

弟媛等、泊於住吉津。

(呉に派遣していた身狹村主靑が、呉から機織技術者を連れ帰って来た。)

                                                                                           (『日本書紀』)

 

と記されています。この呉服・呉織はいずれも『クレハトリ』と読み、

呉とは『暮れ』のことで、日出ずる国=日本から見て

日暮れ没する大陸の国を『呉』と呼んだことに因むとされています。

 

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海を渡り現在の富山にやって来た彼らは、いつしかこの地に居を構えました。

その際に彼らが居住した所が『呉服(クレハ)』と呼ばれ、やがてこれを音読して

ゴフクと呼び、この山は長い間御服山と呼ばれました。

 

江戸時代、前田氏の治世になると『御』の文字を禁ぜられ、五福山となりました。

今でもこの辺りに『五福』の地名が残されています。

 

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明治22年町村分合の折に周辺集落を大別して『東呉羽』『西呉羽』と呼び、

その頃から呉羽山と呼ばれるようになり、現在に至ります。

 

また、呉羽山は富山のルーツと深い関係性があるともされています。

 

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というのも『トヤマ』は応永5年(1398)の『越中国外山』が文献上の初出。

御服山は寿永2年(1183)には既に見えるので、呉羽の方が200年の歴史があります。

 

この外山とは『古今集』にも登場する古語で、

深山には霰降るらしとやまなるまさきの葛色づきにけり

(遠くの山には霰が降っているようだ。里に近い山にあるまさきの葛は色づいてしまった。)

                                                                                           (『古今集』)

 

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とあるように、深山の対となる言葉で、今で言うと『里山』のこと。

「では深山とはどこか、対となる里山とはどこを指すのか」となった際、

富山の深山は言わずもがな立山連峰里山とは呉羽山丘陵を指すのではないか。

 

そして外山(呉羽山)の麓に広がる外山郷が、いつしか単にトヤマと呼ばれるようになった…。

 

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尤もこの話は呉羽山と市内中心部にいささか距離がありすぎる点から

確証に乏しく推測の域を出ないとされていますが…。

ともかく今も寺社仏閣が多く残り、この山に対する人々の信心が垣間見えます。

 

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あとこの辺りで有名な話と言えば、姉倉比売(ひめ)神社

姉倉姫とは元々船峅山(富山市寺家)に坐す神様で、ある騒動で呉羽に来たとされます。

 

池原隧道の手前の公園に神社があるよ。

 

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姉倉姫は石川・富山県境の石動山(いするぎやま)伊須流伎彦(イスルギヒコ)

夫婦だったのですが、伊須流伎彦は杣木山(石川県鹿島郡中能登町付近?)能登

不倫をしてしまいました。

 

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怒り心頭、ブチギレた姉倉姫は船峅山の石がなくなる程、能登姫へ投げ付けます。

布倉岳(=尖山)布倉姫も姉倉姫に加勢して能登姫を攻撃。

能登姫も海水を巻き起こし応戦。越中能登を巻き込んだ戦乱となりました。

 

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騒動を聞きつけた大国主命が争いを鎮め、

発端となった伊須流伎彦と能登姫は海浜に晒され重罰を、

姉倉姫も呉羽小竹に謹慎させられ、機織の仕事に従事することになり

集落の民に機織を教えることとなりましたとさ。

 

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峠の茶屋とか、日蓮宗の話とか、秀吉の山城とか、他にも色々あるのですが

それ書いてると夜が更ける程になるのでまた次の機会に。

 

呉羽山はたまに来るのですが、木が生い茂り幾分じめっとしている感じがして

あまりトレッキングには気が向かないと思っていましたが

この尾根を歩くコース、この時期は日当たりも抜群で気に入りました。

 

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午後から天気が荒れるとのことで、遠出するより近場でトレッキング。

明け方に散策してみると、通いなれた場所もまた違った発見があるのよね。

 

そろそろフクジュソウの季節なので、見に行きたいのですが…。なかなか難しい。

 

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帰りは駐車場近くの円山庵に寄りました。

 

www.city.toyama.toyama.jp

紅葉の時期は結構人入り激しいので入らず仕舞いでしたが、

抹茶と和菓子で一息つきます。

 

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今日の和菓子は『春の野』だとか。

餡子がくどくないキリッとした甘味で美味しかった。

 

奥の茶室は茶会や俳句会などで貸し出してるそう。

うーん、僕には一生縁が無さそう…。

 

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帰りは、逆光で早朝撮れなかった立山連峰を再度撮影しに行き、

そのまま近くの県立図書館で調べものして帰りました。

 

さぁ、次の休日はどこへ行こうかな。

ばーいばい。