過去山行。
唐突にテントを担いで奥秩父へ行きたくなってきました。
しかし瑞牆山はアクセスが微妙に良くないし(車で走ると割と疲れる)、
甲武信ヶ岳近辺もつい最近2度行っています。
アクセスが悪くなく、周回出来て、行ったことない…そんなルートがあるかな。
と地図を眺めていると、馴染みの西沢渓谷からトンネルを越えた二瀬、
ここから和名倉山に登り将監平で幕営、翌日雲取山から三峯に下ればあら不思議!
綺麗に繋がるじゃないですか。そうと決まれば出発。
和名倉山は主脈から外れており、沢から1泊で行こうと温めてた所。
下見も兼ねて来てみると破線扱いの二瀬尾根はとても歩きやすくなっていた。
何だか奥多摩にも似た雰囲気。
かつて奥秩父の秘峰と呼ばれたこの山には森林軌道が引かれ、
多くの栂や白檜曽が麓へ下されていった。
和名倉に走っていた軌道についてはこちらが詳しい。
軌道の遺構が見えてくる頃、樹々の狭間から対岸の景色が覗く。
登りも一段落の三角点、ここからは軌道跡を追いかける。
跡は意外にも歩きやすく、某大学の標識があった。
実習林として活用しているのだろうか?
この軌道に関しては正式な名前も定まっていなかったようで、写真も見当たらない。
しかしこの山の森の樹々を伐り出して生活をしていた者達が
確かにいた証拠を今も残している。
黒木密林の奥座敷と謳われた和名倉の森が伐採され、
それを生きる糧とした者も山を後にし、栄枯盛衰の後影が残された道は
唐突に行き止りとなり、踏筋を辿って斜面を上がる。
やがて細い沢に出合う。この辺りにかつて飯場があったようだ。
当日は初秋、涼しげな風も吹いていたが
将監平まで水場がないので、夏であればここで補給していきたい。
尾根へ上がる。昔は笹薮で四苦八苦を覚悟する道だったそうだが
世代交代でもあったのか、それとも近年特に手入れが行き届いたのか。
何にせよ人の手が入らなければ、登ることすら難しいことを教えてくれる。
森林伐採は「悪」と見られる時代だが、
彼らが遺した道がなければ、この山に来ることもなかったかもしれない。
戸渡尾根に近い匂いの尾根筋を歩いていく。
石楠花の時期にはまた違う楽しみがありそうだ。
唐突に樹林が開けると間もなく平坦な鞍部に着く。
北ノタルは倒木が多く、ここで寝泊まりするには少々億劫だろう。
苔は緑と光を蓄え、トレイルにパステルカラーを加える。
ここを過ぎれば寝転びたくなる斜面を登り、山頂までは20分程。
意外にも当日は5,6人とすれ違った。どちらも一ノ瀬からの登山者。
見晴らしは悪いが木漏れ日が嬉しいピークで小休憩とした。
山頂直下でマットを出してひと眠りしたい程気持ち良いが、夕暮れまで快眠しそう。
本日の幕営地まで歩を進めよう。
主脈への道を進む。ここからは展望が開けて四方の山々が目白押しだ。
振り向けば先ほどまで居た和名倉山も望める。
そして特徴的な笹のピークが初お目見え。カバアノ頭だ。
何と絵になる風景だろう。
1時を回る頃に目立たない西仙波のピークを過ぎる。
ここから脛程度だった笹が腰、深いところでは顔に迫るほどとなってきた。
距離は短いので苦労を口にする程でもないが、雨天時や朝露が払われてないと
思わぬ大濡れをするかもしれない。
和名倉山はこちら側からの方が色々と留意することがある気がする。
それでも将監平までの道は素晴らしく刈り払いが行き届き、
これでもう少しアクセスが短ければ親子の散歩にもお勧めしたい。
将監平からは小屋が見下ろせる。あれが今日の幕営地だ。
小屋は近年小屋主が亡くなり身内が後を引き継いだようだが不定休なのだろう、
この日は人の気配はなかった。
小屋前のベンチに腰かけてカレーメシ。実はこの日が初食だった。
うーん、やはり余裕のある時はラーメンの方が好みかな。あったまり方が違う。
トイレは綺麗で水も豊富で空いている、となればもはや言うことはない。
この日は最終的に3人程度で広々と静かな幕営を楽しめた。
17時頃に晩酌として、日が暮れる頃に寝静まる。
夜中に水を飲みに外に出たが、多くの鹿の声と天に輝くオリオンが印象的だった。
次回へ続く。