前回の続き。
大嶽山那賀都神社(里宮)から国師ヶ岳天狗岩(奥宮)まで続く信仰の道。
その参詣路を順を追って説明していく。
現行地図では那賀都神社裏手の①赤の浦川Co1040mから
尾根へ上がっている道が記されているが、
当時は上支流のCo1070m中ノ沢に②焼尾口が存在した。
焼尾とは尾根が楢林の腐葉土で茶けた見た目からだろうか。
塚本山碑(明治期に三富の治山植林事業に尽力された塚本氏の碑)と造林小屋を過ぎ、
急登を這い上がること40分程、Co1400mで尾根へ上がり萱の広尾根へ入っていく。
雨天時は滑りやすい上に迷いやすく、沢水も無いため盛夏は辛い。
左手の深い萱原の中には③豆腐石と呼ばれる、剣が倒立したような閃緑岩があるが
道から外れているのであまり目立たない存在だったのだろう。
急斜面を経て④繋場(つなぎば)に出る。尾根の合流点のことか。
丁度この辺りは緩やかな尾根が集中している場所だ。
稜線からの巻き道が「東へ尾根を乗越そうとしている」所に
「笹が深く」「水のじくじくした湿地」がある。
判然としないが⑤木川丸(キガワ)は牛首(2086m)南東ピーク周辺を指すと推察した。
当時は現道よりも少し上を巻いていたと思われる。
その後、稜線は辿らず「いくつかの皺を巻きながら」進むこと15分程で、
現在も地名が残る⑥牛首のタルに達する。
昔の地図では牛首のタルを源頭とするカラ沢を下降するルートが書かれているが
これは測量時の古い道で、荒れやすいためか大正時代には荒廃していた。
代替として黒金山北西の尾根を経由するルートが拓かれる。
タルから山腹をトラバース。殆ど標高を落とすことなく北東尾根を跨ぐ。
ここが⑦御用休ミで、ここで荷を下ろして一服したのだろう。
道中は石楠花の繁茂する美しい尾根を落としながら
奥宮までの距離を伝える⑧三里標、名前だけ残された⑨板小屋を経て
西沢のほとりに建つ⑩大嶽山籠堂へ出る。
別名京ノ沢小屋。近代の紀行文でも頻繁に登場している。
この下降ルートは籠堂がこの場所に建てられた頃開かれたらしく、
『山小屋(1933年発行)』には大正5年建設とある。
小屋に泊まり翌朝、京ノ沢左岸の尾根へ乗る。
ここも地図とは違い直接尾根の中腹へ「転げるよう」な急登を詰めて上がった。
登り口を知らせる五寸角の標木へ幾度かの渡渉を要したらしい。
ここから踏み跡も時々不明瞭になる笹原、目立たない小尾根を捕まえる。
これを上がっていけば、今も残る天狗尾根となる。
石楠花の樹林帯を経て⑪怪僧岩を左手に過ぎた後、
樹林帯は一気に開け、大岩が積み重なったピークが見えてくる。
⑫天狗岩の岩室には奥宮があり、参拝・奉納を終えて里宮へ戻った。
往路を返すなら日暮れ時には到着するだろう。
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長々と説明しましたが、要するに
・大嶽山那賀都神社から出発して、
・牛首のタルから黒金山山腹より西沢に下降し、
・天狗尾根で国師ヶ岳奥宮に達する。
という山越え谷越えのルートだったわけです。
で、ようやく本題。これをこの間歩いてきました。
2023年現在、このルートは今どうなっているのか。また次回。