前回の続き。
すこぶる暖かく過ごしやすい宿だった。
朝風呂とカレーを食して陽が昇った頃に出立。

前日・前々日に稼いだ分、今日は少し余裕を持てる。
宿がなかなか取れずこの区間が短くなっただけだが。

いい加減アスファルトに離縁状を叩き付けたいと右足が嘆く。
重い首を上げると山並に陽が灯って晴やかな元旦だ。
碑が路示す方へ小一時間。

紀勢を分つ峠越えとして、今回越すツヅラト峠の他に荷坂峠がある。
平安期に拓かれた熊野詣、江戸時代まではツヅラト峠が専ら用いられていた。

峠から志子(しこ)の部落に出て、赤羽川の清流を上流へとさかのぼり、
下地・中桐・前山を経て再び山地にむかい、
島地峠を越えて長島浦の海岸線に着く、というコースをたどっていた。
(『歴史の道調査報告書 1 (熊野街道)』)
元々のルートは現在の紀伊長島を経由しておらず
徳川頼宣が紀州入りした元和5年(1619)以降、
行政区画整備に伴って道路整備も行われていく。

その際に詣道も平坦な荷坂峠がメインルートと変わり、
玄関口である長島を経由するようになった。

いずれにせよここまで暫く海から離れて歩いていた旅人にとって、
久しぶりの海を見渡せる峠であったことは変わらず
その気風違う両国に旅路の冒険心を躍らせたことだろう。

ゆったりとした風土の伊勢と、神仏の国・死者の霊魂の支配する国熊野とでは、
峠を境にして自然までもが一変する。
滝・豪雨・原始林・波濤といった熊野特有の大自然の様相は、
ツヅラトを越えたとたんに旅人をして、
霊魂の地へ足をふみ入れた心地にさせるものがあったであろうと思われる。
(『歴史の道調査報告書 1 (熊野街道)』)

現世・仙郷を分つ舞台装置として旅人に歩まれた古道。
その名残を拾い集め、往時の息吹を感じてみてはいかがだろうか。

そこには普請をした人々の心遣いや、
生活の為に往来した者達の駆ける靴音が響くようだ。
もしかしたら紀勢の境を越して嫁ぐ者もいたかもしれない。

閑話休題。
織田信長の攻めより落ち延びてきた北畠家臣の由緒ある志子から
西へだらだら歩くと長島だ。暫く腰を据えて休憩した。

名物のマンボウ料理に興味がそそられる。
旬は夏。その頃に来てみようか。

ドラッグストアで補給して旧き街並み残る江ノ浦方面へ。

道中に休憩所兼郷土資料館があるので是非立寄ってみよう。

長島の歴史伝える資料を読む。熊野灘に生きた人々へ奇妙な親近感が湧くのは、
僕が真反対の富山湾に接する民だからか。

今昔変わらぬ熊野灘に心寄せて夕波を眺めたくもあるが、
目的地の古里まで少しの辛抱だ。
緩やかな峠道を辿り…。

みかん畑を抜けていけば、可愛らしい道案内。

15:00前に本日のお宿。
広々した部屋で荷を解いて湯をいただいた。

西窓からはみかん狩りの音が聞こえる。
窓辺で寄せ返す波音に揺られていると
あっという間に眠くなってきた。また明日…。
大内山~古里
85.8km / 91km