日本史と地理の授業は唯一好きだった。
ウス。
今日は雑学の話でもしましょう。
結構皆が知ってるようで知らないような、神様と仏様の話。
山に登る前の願掛けに、登山口近くの神社へ参拝する人をちらほらお見かけしますが、
一体どの神に手を合わせているかを把握している人はどれだけいるでしょうか。
ここでは1つの神社と立山を合わせて、見ていきましょう。
こちらは立山町の集落、長倉にある長倉刀尾(たちお)神社。
刀尾天神を祀る神社で、主に富山市~立山市の各所に点在します。
「刀尾天神って誰だよ?」9割9分9厘の人は思うはず。
余程の神オタクでもなければ初耳でしょう。
この神様は、剱岳の地主神です。
その昔立山信仰が盛んだった頃には、参詣者は必ず刀尾神社に立ち寄り、登山を祈願したと伝えられています。
立山登山者の方の多くは、そういった施設に行くことは稀でしょうが
立山駅ロープウェイ近くの集落には、立山のあれこれを伝える美術館や資料館が点在しています。
立山開山の興りを伝える書物「立山開山縁起」では、こう伝えられています。
飛鳥~奈良時代に、佐伯有頼という少年がいました。
彼はある日、親が大切にしていた白鷹を持ち出して狩りに出かけたところ、
急に飛び去ってどこかに行ってしまいました。🐦彡
彼も「こりゃやべーわ…」と思ったのでしょう。慌てて追いかけます。
暫く探し回り、白鷹を見つけた瞬間、近くの藪から1頭の熊が現れます。🐻<ウオオオオ
有頼はとっさに熊を射抜き、白鷹も熊に驚いてまた逃げていきました。🐦彡
熊の血の跡を追って峻険の極みとも言える峰々を、何日も登り続けて、
彼はこの世の物と思えぬ天上の楽園に辿り着きます。
そこから景色を眺めると、白鷹と熊が岩屋の中に入るのが見えました。🐦🐻
岩屋の中に入った有頼は、不動明王と、血を流した阿弥陀如来を見つけます。
なんと熊の正体は阿弥陀如来だったのです。🐻<エライ!
有頼は「やっちまった~…」と罪に苦しみますが、まあ阿弥陀如来は優しいので許してあげて
あーだこーだして出家して社を建てたりしましたとさ。めでたしめでたし。
この時の白鷹が、冒頭で触れた刀尾天神と言われています。
察しの良い方なら「あれ?白鷹ってこの話からすると、不動明王じゃね?」となりますが、
ここで仏教における本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考え方が関わるんですね。
日本神仏の神様の捉え方に、八百万の神があります。
誰しも言葉くらいなら聞いたことはあると思いますが、
この世の自然にはそれぞれ数え切れないほどの神が宿る、というものです。
そして本地垂迹とは、
「八百万の神って、実は阿弥陀如来や薬師如来のような、位の高い仏様が俺らの世界に出てくる時の仮の姿じゃね?」
という考え方に基づいています。有名な神社に行くと「○○権現」というのを見るでしょう。アレです。
このことから、刀尾天神⇒不動明王とされているわけですね。
よく外国の方には、「日本には幾百万の神々がいる」の文化を理解しづらいと言われていますが、
数多の神様は、根っこは同じところで繋がっている、本地垂迹を念頭に置くと、
割とすんなり捉えることができるのではないでしょうか。
伴天連風に例えると、イエス・キリストが火の中水の中草の中森の中、あのコのスカートの中にまでいるってことです。
今度からスカートが風で捲れたら、「キャーッ!キリストさんのエッチ!!」と叫びましょう。
こんな駄文書いてたら知能指数が下がるわ。
おわり!