前回の続き。
ハンドルを切り返し、稲村集落から来た道を戻る。
山中の薄暗い杉林とは打って変って、開けた田園地帯が見えてくる。
釈泉寺(しゃくせんじ)集落。
現在の世帯数9戸、人口22名。(上市町H30住民登録人口)
開村は永禄12(1570)年~天正年間。
上市町の禅宗の寺、眼目山立山寺(がんもくざんりゅうせんじ)の創立(建徳元(1370)年)以前、
現在の集落上方に住む者がいたが、稲村城落城の頃に奥山の不便を厭い
当地を切り開いたのが始まりとされている。
名の通り、かつて『釈泉寺』という寺があったのがそのまま地名となった。
町史では某邸宅敷地から青銅製の輪灯(浄土真宗で用いる照明用仏具)が出土したことが
それを裏付けていると伝えている。
寺はいつかの折に長野新潟県境の鈴の湯へ移ったとされる(『白萩小史』)が、
現在その地名は残されていないため検討が付けられない。
集落上部には富山の滝37選の1つ『まま子滝』が流れる。
この日は水量が多く分かりづらいが、流水が大小2本で形成されている様から
名付けられたそうだ。
更に上層には、最近遊歩道を開通した『笠取の滝』も流れる。
釈泉寺はある風変りなスポットで名が知られている。
農民の死活の事業は用水事業であった。何百年かの昔から、
上市川の諸方より幾条もの用水が次頁の古地図に見る通り無統制に
掘られていたが、そのために一雨毎に取入口の欠壊となり、
又渇水時には入り乱れ石合戦をするまでの水争の種となっていた。
(『白萩小史』)
幅狭で急流なため一雨降ると氾濫するばかりか、水源域の狭さから渇水にも
悩まされた上市川流域では、農業用水の公平な分配が懸案であった。
先人の熱意と技術により昭和34年に完成した上市川沿岸土地改良区円筒分水場は
県内に4つある分水槽の1つとして、50年以上経過した今も現役で用いられている。
村社は日吉社。社殿まで意外に急坂だが良く整備されている。
集落全体が平坦で見通しが良いため、集落のどこからでも良く目立つ。
かつての子供が駆け回る足音が聞こえるようだ。
釈泉寺は名所がいくつかあるため、比較的車の往来も多く見られる。
初秋には見事な水田が見られたので、またその折に再訪したいと思いつつ
次の目的地へ車を走らせた。