アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年7月6日 上市町②五位尾集落

上市町には全国から選定された昭和の名水100選の1つ、

今も好んで汲みに来る人が多い『穴の谷(あなのたん・あなんたん)霊水』が

中心地から約6km離れた山奥に湧き出ている。

 

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黒川集落での分岐。

その穴の谷の黒川集落側分岐で、郷川に沿い数km走った先に目的地がある。

 

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現行。

五位尾(ごいお)集落。

現在の世帯数0、人口0名。(上市町H30住民登録人口)

古くからこの地に住まう方の間では『ごいのお』と呼ばれることも多い。

明治の地図でも『五位ノ尾』とある。

 

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集落下部より。

地名の由来は判然としない。

立地に関係すると思われるが推測の域を出ず。

(『数字+尾』の例では、県央部の八尾町は『8つの山の裾野が伸びる地形から』という説あり。)

 

(PS.『五位』の地名は日本各地に点在する。

これは奈良時代の身分等級によるもので、上から5番目の五位に属する者は貴族階級にあり、

身分的・経済的に様々な特権を有していた。

領地権が認められるのも五位からで、故に貴族が領有した土地を『五位』と付けることが

多かったと言われている。

また私有山域が多かったこともあり、近くの山を一ノ尾、二ノ尾等と数えたりしたそうだ。)

 

源頼光の家臣碓井貞光の子孫が源平合戦(1180~1185)の際に流れ着いて

当地を開拓したのが集落の始まりと言い伝えられている。

頼光四天王碓井貞光』と言えば史実でも有名な武将の1人。

 

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右へ行くと八幡社。

実際に末裔の碓井姓が今も住まい、昭和初期まで竹鞘入りの日本刀が継がれていた。

源平合戦の壮絶さを語るような、生首谷隠れ林と呼ばれる地名があるとのことだ。

(実際の地理関係は不詳。) 

 

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集落上部から。

近代に入ると、日々の暮らしの糧として養蚕や麻の製造加工を営んだ。

大正~昭和10年頃まで葛粉の生産が最盛を迎える。

特に葛粉は当時大きな収入源で、時期になると一家総出で励んだところも多く

明治30年頃に財を成した家は200円(当時の所得基準で約400万円)を寄進したとある。

 

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コンクリート製の炭焼窯?

しかし何と言っても周囲を森林で囲まれた集落であったことから、

一部では昭和50年頃まで、薪炭の製造・搬出が主な収入手段として用いられた。

車のない頃、遠いところで12km先の滑川市までアカシ(割木)を背負い、

3時間以上もかけて届けに行った。

 

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在りし日の五位尾分校。

当地の教育分野としては、集落上部の分校があった。

南加積小学校五位尾分校は、明治34年に建てられた常設分校を前進として創立。

大正10年に焼失するが再建され、長きに渡り当地の就学児童を支えた。

 

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シンプルな意匠で趣深い。

昭和52年に在学児童が0名となり休校、

以後集落の公民館として用いられて平成17年10月廃校。(南加積小学校 学校年鑑)

104年の歴史に終止符が打たれた。

 

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現在の跡地。

暫く住民の心遣いにより残されていたようだが、現在は更地になっている。

訪問記録を見ると、平成23年に豪雪(平成23年豪雪)で校舎の玄関屋根が崩落、

その年の内に取壊しになったようだ。

 

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集落全景写真(昭和30年代)。

集落人口は大正期50戸をピークとし、昭和32年42192名と同水準で推移していたが

高度経済成長期後、急激に右肩下がりとなる。

多くは町の麓集落や近隣の市町村への移住を選んだ。

平成16年には定住者は2戸となり、現在に至る。

 

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村社 八幡社。徳川時代のものとあるが創立年月日不詳。

当地の獅子舞は近隣でも名が通っていたもので、

谷から離れた山間で立山連峰の颪も無縁、比較的温暖で作物の生育にも向く土地柄、

早月川の集落では『嫁に行くなら五位尾へ』なる唄もあったそうだ。

 

今では往年の賑わいも去り、どこか寂しそうに閑散としている。

いつしかこの集落に活気が戻る日が来ればと思う限り。

 

※校舎写真は解体以前に当地を訪問したinoue1024様にお伺いしたところ

快く掲載許可を頂けたものであり、ここに感謝の意を述べたい。