前回の続き。
京ノ沢を左岸へと渡った。
道があった当時は沢を数度渡渉して取り付きへと向かったと言うが、
開発が進んだ令和の現在、堰堤と堰止湖に阻まれる。
軌道を元にした林道がすぐ上方を走っているので、登り上げる。
昭和44年まで稼働していた林鉄の痕跡は堰堤の先にも残されているようだ。
堰堤先の林道カーブの谷筋から「転げるよう」な急登を詰め上がることで
左岸尾根鞍部に至っていたようだが、先は土砂崩れが激しい。
ダムが築堤された森は余分な水を河川へ排出できず、貯め込んで浮腫んでしまう。
それが続いて山崩れが頻発するのだ、という話を湯俣で聞いたのを思い出した。
少し戻って一目でそれと分かる造林小屋跡から、暫く緩やかに標高を上げる。
相変わらず歩きやすい鹿道が続く。
昔の取り付きの斜面は確かに一気に切れ落ちているようだった。
やけに明瞭な道を歩いて「付近が殆ど平」な鞍部に立った。
笹と落葉松に囲まれる。秋はなかなか彩り鮮やかだろう。
そう言えば秋にこの辺りに来たのはだいぶ昔なので、今秋の予定に入れておこうか。
落とし物を横目に、枯葉の尾根を上がる。
1825のピークには保全道のものだろうか、赤い木札が刺さっていた。
この尾根を石楠花新道と言いたい程に石楠花が群生している。
確かにこの付近は石楠花が繁茂している。
鹿も花見がてら散歩をしているのだろうか、簡単に潜っていける。
トンネルを抜けて林道に合流。
参道がある頃は「一寸踏跡は不明となる所」と言われていた。
確かに下りで今の林道のような目印がなければ
知らぬ間に別の支尾根に降りてしまうかもしれない。
倒木は目立つが、登りなので迷う要素はない。小さな尾根を捕まえて直上していく。
三度目に遮られた林道は立派に舗装されている。
今でも森林保全の為に現役で運用されているのだろう。
時計を見ると13:50。
頑張れば大弛小屋には17:00に到着するだろうが、空覆う雲も重く眺めは望めそうにない。
一方、明日は快晴。夜中に出発すれば大した差もない。
誰も来ないだろうしこの道端で幕営することにした。
ペグダウンは出来ないがどうせ風も吹かないだろう。
荷物を放り込み、京ノ沢源流へ水を汲みにいく。
丁度源流と幕営地の中間辺りに流れ込む支流があるのでそこで補給したが、
あまり落ち口が綺麗ではないので生水での飲水は控えた方が良い。
一応フライをかけて服を乾かしながら朝兼昼兼夜飯のラーメンを食べた。
明日分のお湯をサーモスに入れて、17:00を過ぎた頃就寝。
Co2000m付近、やはり日が落ちると結構冷え込み夜露がフライを濡らしたが、
3シーズンシュラフに入ってぐっすり就寝した。
次回へ続く。