アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2023年5月20~21日 大嶽山那賀都神社~国師ヶ岳 (2/5)

前回の続き。

 

白霧に包まれた牛首のタルから、朽木が目立つ山腹北西に向けてトラバースしていく。

 

トラバースは倒木が目立つが…。

踏み出しは確かに倒木で荒れて…おや?山腹に入ると全然荒れていないぞ?

どうやら特に倒木が酷い部分は、稜線から少し下がった所だけらしい。

 

鹿道が明瞭なため巻きに苦労しない。

物凄い歩きやすい道がちょうど上手い具合に山腹を巻いている。

その昔、「西沢の交通のうち最も主要」と言われたルートは

令和の世になってからは鹿や熊が人を避ける為の脇往還になっているようだ。

 

御用休ミ(北東尾根Co2000m)。確かに平坦地で休憩に向いてる。

原全教によれば昭和8年に大暴風雪がこの栂の森にも甚大な被害を齎し

倒木激しく荒廃甚だしい道と化したそうだが、

90年の時を経て朽木は土へ還り、苔潤う森へ戻ったのだろう。

 

北東尾根を跨ぐと、狭小だが平坦な場所に出た。地図にもある御用休ミか。

 

倒木はちらほらあるが、想像してた程度もない。

歩きやすいトラバースを経て、北西尾根に乗っていよいよ標高を落とす。

コンスタントに休みやすい地形があり、確かに往時繁く人が訪れたのも頷ける。

倒木も可愛いもので、翌朝歩いた石楠花新道の方がよほど荒れ果てていた。

 

特にCo2000~1700mは一般登山道よりも歩きやすい土尾根。

流石に奥宮までの距離を知らせる三里標は疾うに朽ちたのだろう。

見渡しながら下っても当時の遺物は発見できなかったが

かつて人の手が入っていたことを感じさせる。

 

シャクナゲは西面の日当たりの良い所に集中している。

事前に想像していたような「真紅の大輪が乱れ咲く」密生した石楠花は、

下部以外は西面に繁茂しているのも、尾根道は非常に歩きやすいことの一因。

 

ご機嫌ですよ。

百年前、ここを往来し山谷を跨いで参詣した信心深い者達がいたことを

足元と肌で感じて歩いていく。

 

アクセント。

Co1700m頃からシャクナゲが次第に尾根を覆い始める。

最盛には少し早いが朝露を纏い、樹間に差した陽光に淡く輝く。

 

Co1700mからは石楠花の壁。AK27なら多少引っかかるがアスレチック程度。

地形図で一気に標高を落とす、「石楠の密集しただらだら上り」は

確かに尾根を覆いつくす壁のような印象。

 

入ってみれば意外と枝は開けていて、20分もかからず開けた場所に出るので

降る分には丁度良いアクセントとして楽しめる程だった。

 

あっちゅう間に抜けた。この辺が板小屋かな。

傾斜が少し緩まると、板小屋とある、杣人の伐採小屋跡と思われる開けた場所に出る。

いつしか西沢の流れの音も耳に届いてくる。

 

ハンモックでも張って寝たい。

下部は幾十年の新陳代謝の影響か、伐採を受けたかは定かではないが

若い樹々が枝葉を延ばす明るい林となっている。

 

本谷渡渉点。

時計を見れば正午過ぎ、本谷の渡渉点に到着した。

 

平場。小屋建てにはちょうど良さげだけど。

古地図では板小屋から少し東へ寄って落としているので

大嶽山籠堂の跡地ではないと思うのだが、水辺には小屋建てに向く平場があった。

 

京ノ沢小屋」の別称で深田久弥や冠松次郎も訪れ、

古い紀行文に度々登場した小屋の痕跡を見つけたかったが、叶わなかったのが心残り。

 

トタン。伐採小屋があったのか?

この平場には実際に小屋材に使われたであろう残骸もあり、西沢軌道が現役の頃を思わせた。

 

本谷の流れ。

本谷の流れも美しいが魚の影は見られない。

 

再度戻って靴を脱いで脛程の渡渉。

5月の清流は痛いほど冷たく、底冷えして膝が震えるほどだった。

 

京ノ沢。丸太に跨って渡る。

流石にもう渡渉は嫌だが、続く京ノ沢を渡らねばならない。

これは良い感じに丸太がかかっていて、慎重に跨れば濡れずに渡ることができた。

 

次回へ続く。