5月中旬、かつて国師ヶ岳に続いていた参詣の道『大嶽山参道』を歩いてきました。
ルート詳細。
始めに断っておきますが、完全トレースとはいきませんでした。
いくつかの課題が残りましたので、いずれ解消を考えたいです。
仕事終わりから山梨へ向かい、明け方に那賀都神社の駐車場へ到着。
流石にこんな朝早くには誰も居ない。
神社参拝には不釣合いな泊り装備を担いで参道を歩く。
神社までの道は全面舗装で老若男女分け隔て無く詣でられる。
道中は沢沿いで涼しい風が通り、避暑にはちょうど良さそうなスポットだ。
古くから連綿と続いた参詣道は昭和に途絶え、時代を超え令和にこの道を紡ぐ。
神社裏、鹿止めの扉を通って堰堤を超える。
本殿の入口がある広場に出る。
神々の住まう高天原と名付けられたそこへ堰堤という境界を越えていくのは、
舞台装置としてなかなか面白い。
本殿へは禁足地。特別な日にのみ通れるのだろうか。
注連縄が巻かれた石を拝み、奥の堰堤へ進む。
飛び石は滑りそうなので靴を脱いで渡り、左から堰堤を巻く。
杉の植林には作業道か鹿道か、薄く残っている。
堰堤が多いので降りずに巻き気味に歩くとザレた斜面に出た。
トラバースが出来ずに尻込みしていると、全く違う尾根に巻き上げられてしまった。
スタート早々に波乱。大丈夫か?
1504mの東尾根に乗ってしまったが、これがなかなかな新緑。
緩やかで柔らかな尾根は獣にとっても歩きやすいらしく
蹄の痕がそこかしこに残されている。
上部で谷を跨ごうとしたが、結局この焼尾の区間は後の課題とした。
躊躇したというよりもこの尾根を降りるのが勿体なく感じたのだ。
靴が隠れる程度の笹を歩けば、青笹集落からの道と繋がる。
黒金山のメインルートなのに車もない。
予報よりも天気が悪いので、別の山へ行ってしまったのだろうか。
さて、気を取り直そう。林道を20分歩いて廃道への復帰を行う。
木陰からは濃い雲に呑まれた山が見える。倉掛山の辺りかな。
青い山並みと白雲のコントラストが、木立を額縁にして美しい。
塚本山(1439m)の直上に出る。
見た感じとても歩きやすそう。後々思ったが、下山でこれを使えば良かった。
萱野が広がると聞いていた広尾根は低い笹が繁茂する若い森となっていた。
鹿の食圧は奥秩父で深刻な被害を出しているが、この尾根も鹿道が錯綜している。
当時と大きく様変わりしたのかもしれない。
環境問題は一旦置いておき、私個人はこういう趣きは割と好みで
一見不明瞭にも見える尾根沿いには鹿道が続いている。
ヒトが歩きやすい道を拓き、ヒトが忘れ廃れた後に、獣が再利用する。
そうやってこの道はヒトも知らぬ時の中で紡がれているのだ。
Co1700mくらいから深く埋もれた豆腐石を探したが見つからない。
急斜面の直下には大小様々な石が割れ転がっていた。
帰り際には断裂した閃緑岩の巨石が幾つかあったので、
豆腐石も長年の風化によってバラバラに粉砕したのかもしれない。
Co1850mで尾根が繋がり、現在の道と合流した。ここが繋場(つなぎば)だろう。
暫く現道を歩く。上の方は早朝小雨だったらしくしっとりとしている。
ちょうど道が左へ巻こうとしている所で笹の茂った小尾根を直上し
1953mの小ピークに上がる。
ピーク自体は倒木で囲まれた樹林帯で「水のじくじくした湿地」とは思えない。
下に狭い平坦地もあるので、付近の広い範囲を「木川(キガワ)丸」と呼んでいたのか。
現道を歩いていても水が少量出ている所はあるので、
この辺りも湧き水が出るのかもしれない。
深い霧が立ち込める。相変わらず明瞭な鹿道が現道の上部から続いていたが
倒木も目立つので一度現道に合流した。
ぶっちゃけた話、前半のルートロストも含めてテンションが落ちていた。
これ以上天気も悪化するなら中断も視野に入れていた。
牛首のタルに到着したのは開始から4時間後。
白染まりの鞍部で小休憩し、一抹の不安を押し殺して道の核心部へと進んでいく。
次回へ続く。