前回の続き。
3:00起床。若干冷えるがレインウェアを羽織る程でもない。
大弛小屋に寄らないなら、ここから黒金山まで水場がない。
幸い炎天下にはならなそうだ。サーモスのお湯は全てお茶にして道中飲んでしまおう。
1958年『奥秩父の山と谷』で天狗尾根と仮称されたこの道は、
石塔尾根や西沢遡行を終えた人が奥秩父主脈へ抜ける要衝となるので
踏み跡が非常に明瞭になっている。
登行中左手にある怪僧岩は、恐らく登り出し20分頃に点在する巨岩のどれかだろう。
注意しないと通り過ぎてしまう、あまり特徴的でない岩らしい。
樹林帯を抜ける手前には祠が似合う風格の巨岩があった。
ヘッドライトを消して薄光射す苔の森を歩く。
100年前の信仰を感じると、独りだけで歩いているわけではない奇妙な感覚が伝わる。
古びた金属道標が足元に転げていた。
西沢を指して書かれているのは恐らく「至不動」か。
50年前七ツ釜五段の滝の奥にあり、林業従事者を支えた不動小屋のことだろう。
樹林が開けると「さらに一大築山然たる巨岩の堆積」の天狗岩を高く仰ぐ。
「灌木の中に岩があって、その上に踏みつけられた足痕を便りに」、
枯れ枝をパキパキと小気味良く踏み締めながら小路を歩く。
振り返れば丸みを帯びた黒金山。
東から見るピラミダルな山容とは印象が全く異なるので、別の山に見えるようだ。
ゴトメキの向こうに富士山を望めば、信仰とは山と山で繋がっていると感じる。
風薫る朝日が雲波を銀に照らす。
いくつかの巨岩を縫い回れば、とうとう天狗岩の直下に出で立つ。
岩の頂には真新しい、と言っても50年以上前に建てられた剣が
春の蒼天に威風堂々と掲げられている。
少し東側にはかつて奉納されたと思われる鉄剣が今も残される。
相当に古いものだ。確認できなかったが「明治」と彫られているらしく、
往年の信仰の厚みを感じさせてくれた。
先端は何十年も前に落雷を受け折れた、という話を聞いた。
累々と激動の時代を経て、なお朽ちることなく誇らしげに信仰を刻み込んでいる。
鉄剣の脇には幾人か入れる岩洞があり、大嶽山那賀都神社の奥宮が鎮座している。
長い信仰の道を経て至った当時の人々に想いを馳せ、無事の下山と安寧を祈願した。
天狗岩の由緒は終ぞ不明だったが、北東方面を望めば鼻高々に伸ばした大岩が
まさに天狗のように見えてくる。
撮影や同定に気を取られ、時計の針は5:30に達していた。
国師ヶ岳はすぐ傍だが、まだ長々とした下山が残されている。
主脈の合流点である「約三丁の所の東の肩」へ向かうことにした。
次回へ続く。