2023年現在、国師ヶ岳は奥秩父山塊で最も『登りやすい』山の1つだ。
かつての奥深く坐す秘峰も、近傍の大弛峠へ林道が敷かれて
1時間で山頂を往復できてしまう程馴染み深い山となっている。
それ故不遇な山と感じる。
大弛峠からの往復だけでは決してこの山の魅力を味わい尽くすには足りず、
一方慣れた者からは主脈縦走の1ピークとして軽んぜられることも多い。
しかし石塔尾根、岩屋林道、石楠花新道等の好事家に好まれるルートも数多い。
それらを絡める事で国師ヶ岳の「山らしさ」を感じることが出来るだろう。
長々と偉そうに語るのも締め、本題に入る。
国師ヶ岳南東の岩稜には『奥宮』と呼ばれる場所があるのをご存知だろうか。
麓は三冨の大嶽山那賀都(だいたけさんながと)神社の奥宮だ。
人皇十二代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌、甲武信の国境を
越えさせ給う時神助を蒙り、神恩奉謝の印として国司ヶ岳の
天狗尾根(2,159M)に佩剣を留め置き三神を斎き祀る。(現・奥宮)
第四十代天武天皇の御代、役行者小角当山(現・社地)の霊験なるを以て
修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動して止まず、
以来当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼ぶ。
第四十四代元正天皇養老元丁巳年(717年)三月十八日奥宮より勧請す。
(大嶽山那賀都神社 由緒)
1300年の歴史を持つ霊験あらたかな神社で近年パワースポットとしても人気が高いのだとか。
大変失礼ながら私がこの辺りへ来るのは殆ど登山目的の為、立ち寄ったことがない。
伝承の真偽は一旦置いておき、奥宮ということは当然参詣の道も存在していた。
それが今回の主題『大嶽山参道』だ。
『大嶽山参路』『大嶽山道』等の呼び名もあったらしい。
大正~昭和の地図を見てみよう。
那賀都神社から黒金山を跨ぎ、西沢へ降り国師ヶ岳へ続く道が記されている。
(地図記載の道は測量当時のため、実際の道とは差異がある。後に触れる。)
この道を詳しく記述した本として原全教『奥秩父 続編』がある。
西沢の交通のうち最も主要なものが大嶽山参路である。
(原全教『奥秩父 続編』)
近代登山史の頃はそれなりに歩かれていた道で、幾つかの紀行文に現れる。
信心深い行者が里宮から連なり、西沢の谷中の御堂で籠り夜を明かし
翌日は国師ヶ岳山中の奥宮へ詣で、再び里宮へ戻る。
昭和中期には既に荒れ果てて久しかった様だが
往年は西沢渓谷を横断するメジャールートとして知られており
登山史の名著にもこの道は登場している。
この時は国師ヶ岳から京ノ沢に下り、京ノ沢小屋で一夜を明かし、
那賀都社の裏へ出て塩山に帰った。
(深田久弥『わが山山』)
愈々磊々たる岩尾根続きになり、それを二つ程越すと最後に
大嶽山奥の院の累岩の飛び出している岩峰に登る。
そして其次の隆起を越して、午後三時半に三角点のある国師岳の頂点に辿り着いた。
(冠松次郎『西沢・国師岳・東沢』)
次回 参道のルート・道中の名所の解説。