霜月の越中国。
やあやあ。
晩秋の三連休、思い思いのアウトドアを楽しまれた方も多くいらっしゃったのではないでしょうか。
僕は故郷の北陸、富山へ行きました。今回は富山旅行です。
昼に車を走らせ、圏央道から中央道を経由し、
更埴JCTで上信越道、上越JCTで北陸道へ乗り継ぎ、富山ICに到着したのが21時前後。
途中休憩した筑北PAの凍える寒さや、妙高周辺の降雪に悩ませながら、やっとの思いで到着。
400km以上を連続走行すると脳がバグる。
今回の目的はまあ帰省ということもありますが、富山で見たいスポットもあったりして、
ちょうど良い晴れの日が続くとのことなので、そちらも楽しもうかな、と。
早朝の立山連峰。土曜日の朝、1日目は廃校巡り。
今回向かうのは八尾町桐谷(きりだに)の旧桐谷小学校と、大沢野町小羽(こば)の旧小羽小学校です。
八尾町や大沢野町と言われても、富山を愛する清廉なる紳士淑女の富山県民以外には
さっぱり分からんでしょう。
ましてや桐谷や小羽と言われて、すぐ地図を指差せる富山県民も数少ない気がします。
富山を「北ア登山の拠点」として見てる人の中では、黒部市や立山町の反対側なので、
よく知らない人も多いのではないでしょうか。
富山県の旧市町村が描かれたマップで説明します。
八尾町は富山市の南の端に位置する2万人余りの町。
県内外から3日で25万人以上が訪れる、富山を代表する伝統祭「おわら風の盆」で知られた地方です。
富山には数多くの市町村が点在していましたが、平成の市町村合併の折、
殊に富山市は多くの町と合わさり、県に占める面積の割合では全国一の市となりました。
八尾町もその時に合併された町ですが、その中でも大きい方の地区です。
桐谷集落はその八尾町と細入村との境にあります。
ネットで調べてもなかなか情報が出てこない長閑な集落。
桐谷小学校で検索をかけると桐谷美玲さんの出身校が頭に出てくるあたりで察してください。
ネットの情報を鵜呑みにするのもアレですが、
佐々成政家の古文書には「桐谷と云ふ集落あり」とか書いてあったみたいなので、
戦国時代には既に集落としての体裁が整っていたのではないでしょうか。
桐谷小学校は集落を走る主要道路沿いに位置し、昭和58年に近隣の下笹原小学校に吸収合併され、
その下笹原小学校も平成15年、近隣の多くの学校と共に八尾小学校へと統合されました。
昭和58年と言えば35年前ですから、僕が産まれる9年前には既に廃校となっていたんですね。
廃校となった以後も、高岡市の出身の洋画家、故古川通泰さんと息子の美術・陶芸家、古川歩さんの創作活動のアトリエとして使用されていた過去があり、
その経緯もあってか長い間手入れされていた様子です。
通泰さんは既に他界され、歩さんがアトリエとして用いているのかは不明。
クマ出没注意の紙に時代を感じる。
この小学校ですが、検索したら深緑に囲まれた趣深い画像がいっぱい出てきまして、
熟考の末、富山で行くならここにしようと思っていたのです。
外壁や屋根瓦はよくある日本の廃校の特徴ですが、門構えが西洋チックなのが気に入りまして。
でも全然ミスマッチじゃないんですよね。大正浪漫とか昭和レトロを感じさせる造りで、和洋折衷がたまらない。
今回は晩秋に来ちゃったから落葉してましたが、夏に来ることでまた違った景色になりそう。
廃校舎としては大きい部類に入るので、昔はこの集落近辺にも多くの子どもがいて、
地元の大工や建築家が腕を振るって子ども達の為に建てたんだなというのが伝わる、良い廃校でした。
リノベーションするには老朽化が行き過ぎて難しそうだけど、何か良い映画のワンシーンとかに使われないかなぁ。
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桐谷をドライブしながら、次の目的地へ向かいます。
大沢野町は昔から富山市のベッドタウン的立ち位置にある山間部の町です。
縦に長い形をしており、国道41号線が中枢を通って飛騨へ抜ける、富山岐阜間の交通の要所。
「神通峡」は春夏秋冬全く違う顔で人々を楽ませてくれる県内有数の景勝地です。
小羽地区は八尾町との境にある小さな里村。
その中で長い間地域の子供の学びの場となったのが今回の目的地の1つです。
小羽小学校。つい最近に廃校になりました。
廃校になったのは平成21年。以前に行った旧高松分校の1年前に閉校になっています。
旧高松分校とは違い、通っている児童も存在していましたが、近隣の大沢野小学校へ統合される形で学舎としての役目を終えました。
廃校の中でもかなり大きな部類に入るコンクリートと木造の併用学舎。
地域的価値も高く、今でも当時この学校で教師をしていた方々や地域の方との交流の場として積極的に用いられています。
当時の資財は一部希望者が購入することができるようになっているみたい。
僕が行った時にロッカーがあったけど、流石に持って帰れない。誰かどうでしょ。
図書室かな。
近隣の出でしたが僕が通ってたのは全く違うところだったので、当時の小羽小に来たことがないんですよ。
行こうと思えば行けたんだろうけど同じ地域の他校なんて、子供時代には絶対入っちゃいけない未開の地みたいなところあるよね。
体技場。柔道とかするところ?小学校だとやったことないけど。
体育館自体はあるので、ここは元教室を改装して最近作ったのかね。
廊下。
採光が良く、電気がなくても明るい校舎です。明るさが子どもには大事。
ギシギシと踏み歩く廊下の音が好きなんですよ。
小雪を超え寒さも増したのか、より硬い音がなった気がします。
きょうの こんだて。
こんなワクワクするフレーズなかなか無いね。
僕の学校では紙ペラ1枚でしたが、黒板ってのがまた良いね。
この黒板の横で炊事場を覗けるようになっているので、
子ども達は毎日ここに寄るのが日課になっていたのでしょうか。
リノリウムの床をモップ掛けしたい欲求に駆られる。
昔雑巾でスケートしたわ。
滑り止めの床材の癖に、水拭きしたら超滑るんですよねこれ。
校庭。
この日は休日の朝方なので子どももいませんでしたが、
昼から夕暮れにはサッカーとかしてるんでしょうか。
子どもの頃って、早く大人になりたいって思って過ごしてましたが、
いざ大人になると1日でも少年時代に戻りたいなと思うんですよね。
この年になって小林幸子に共感しました。
僕は人付き合いの悪い子供でしたが、もし戻れるなら海のような大らかな気持ちで接してやろうと思います。
僕を散々殴ったT君だけには思いっきりドロップキックかまします。
小羽の高台から澄み渡る空。
この後は昼に一度家に戻り、飯を食って大山町方面で立山の写真を撮ろうと思いましたが、
午後から雲がかって来たので犬と一緒に寝てました。
とまあ、少年時代に思いを馳せた1日となりました。
八尾や大沢野の日常の一コマをお届け出来たなら幸いです。
まだこれだけじゃなくて次の日にも続くんじゃ。
じゃあねー!