アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年2月24日 富山市:旧八尾町⑤小井波集落

前回の続き。

 

一旦桐山(きりやま)から暫く野積を離れ、隣の卯花へ足を運んでみよう。

 

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現行。

小井波(こいなみ)集落。

現在の世帯数0戸、人口0名。(富山市H31住民登録人口)

 

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集落内部。

百人一首歌人が一人、猿丸大夫の逸話・伝説は全国各地に点在するが、

小井波は大夫が終の棲家とした地と実しやかに語られている。

その昔(所説あるが元慶年間(877-885))里人が住まう当地に猿丸大夫が流れ付き、

ここに庵を結んで終生暮らしたと伝えられる。

 

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養豚施設。もちろん立入は厳禁。

婦負郡志』では渓水が幾十も重なり、奇岩の上を流れてさざ波を起こす様から

小さい波』を由来としている。

上笹原(かみささはら)へと続く道では荘川の奇勝が見られ、正に名を体現している。

 

明治大火の折に作られた『井波焼歌』では、猿丸太夫が開墾するまで稲作が行われず、

里人はこの時初めて稲を見たことから『稲見』と名付けたと歌う。

その後稲見が『井波』となり、井波町と区別するため『小』を付けたのだろうか。

 

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集落入口山中にある墓。

また越中旧説話や伝説を纏めた『肯構泉達録』によると

 

大彦命越中に至り給ひ伊豆部山(いつべやま)の下杉野に玉趾を留め(略)

伊豆部山は婦負郡小井波夫婦山の事にて命居給ふ所は内裏村なり

                                                                            (野崎雅明『肯構泉達録』)

崇神天皇即位10年四道将軍大彦命が当地の里山、夫婦山の麓に立ち寄ったとされる。

 

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住居跡地。

斯様な伝説の真偽は兎も角、下流上笹原下笹原(しもささはら)の旧家は

当地より出たと伝わり、その古さが相当なものという裏付けになっている。

かつては東に諏訪様、上に観音様が鎮座していたそうだが現在では耳にしない。

 

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五輪塔

一時は山中で石灰の採掘が行われ、10基を超える焼窯があった。

井波灰と称した良質な石灰で、町の肥料問屋へ卸していた。

上笹原ではこの石灰を麓へ歩荷して駄賃を貰っていた者もいたが

遠く運賃が嵩むことから価格競争に負け、明治末期には市場から姿を消した。

 

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昭和50年代の小井波。

かつては100名以上が暮らしていたが、昭和50年7戸22名。

無住化は昭和50年代半ば~60年頃と推察したが、近隣の方にお伺いしたい。

現在は集落北西に巨大な養豚施設が建ち、住居のあった付近は柵や有刺鉄線が張られ

部外者の侵入を拒んでいる。

 

北東の広大な耕作地は、某氏の話では養豚用牧草地に転用されているらしい。

 

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小井波分校。

桐谷小学校小井波分校明治13年2月に分教場を開設、同20年4月に大火で類焼したが

以降昭和52年の廃校まで97年間、1世紀近く学童を支えた学び舎だった。

跡地は判然としないが、写真背後の山の角度や屋根の形状を鑑みると

それらしい建物が見られた。生憎養豚施設の内部なので確認は難しい。

 

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往時の集落。

隣の桐谷(きりたに)や上笹原よりも200mほど標高が高い。

山向こうの東松瀬(ひがしまつぜ)が2m近く積もるので、さらに更に上回るだろう。

豪雪は昭和中頃まで山と町を隔絶する障壁で、長期間陸の孤島となったのは想像に難くない。


しかし厳しい雪は春の恵みも齎し、冬を乗り切った後に山で採れるススタケや

フキノトウコシアブラの味は何事にも代えがたいと述懐している。

 

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村社 八幡宮

村社は八幡宮

瓦葺の立派な本殿は意匠も見事で杉林の中で風格を漂わせていた。

今ではなかなか人も立ち寄らないようで、力無く垂れた注連縄と傾いた扉が

集落の退廃を表していた。 

 

春にはミズバショウの群落が咲き乱れ、多くの観光客が見物に訪れる。

またいずれ満開のミズバショウを見に再訪したい。