意図しないところから。
事は前回の茅ヶ岳にて。
朝日を浴びながら山を登っている最中、「あるもの」を見かけました。
これなあに pic.twitter.com/U6V3SaFVOn
— 成瀬晶 (@akiranngo_M) 2019年3月9日
ふと休んでる最中、木の実のようなものが目に付きました。
枯れ枝だらけなのに、実がついてて、この1つだけ。
何かおかしいな…?と思いつつ、まあ伊吹山で12月にスミレが咲いてたし、
そういうことも自然界ではままあることだと考え、SNSで聞いてみたのが冒頭です。
特に触感等確かめることはしなかったのですが、まあ誰からも返事が無く。
そもそもピンボケしてんじゃねえか。
話は飛んで前回、温泉を後にして向かった先は都留市。
温泉のある甲斐市から3つばかし挟んだ先にある、山梨の端っこ。
恥ずかしながら笑点の水色こと三遊亭小遊三師匠の大月市が隣にあるなあ程度しか、イメージが湧かなかったのですが、
ここで色んな発見があったのです。
目的地は尾県(おがた)郷土資料館。
元は明治11年に建てられ、戦時中(昭和16年)に近くの学校と併合される形で幕を閉じた廃校でしたが、
その後暫く経ち、当時の面影を残しながら改築され、教育・郷土資料館として生まれ変わりました。
特徴は何と言ってもこの外観。
そもそも山梨県では当時の県知事が小学校・県庁舎等に疑洋風建築を奨励させた、
という経緯があり、当時の建築物は彼の名前を取り「藤村式」と呼ばれ、
重要・指定文化財として多くが残存しています。
内部は長く放置されていたこともあり風化が激しかったそうですが、
当時の教室を研究・復元した形で残されています。
あの古畑任三郎ep.40『今、甦る死』や
およそ20年前、役所広司、香取慎吾さんら主演『合い言葉は勇気』のロケ地でもあり、
ファンがたまにいらっしゃると、管理人さんがお話してました。
古畑任三郎は僕の母親が推理ものドラマが好きで、よく一緒に見てましたよ。
当時の教科書や残された木工作品等、明治~昭和期の教育現場を展示する施設として用いられています。
僕の教科書とか落書きだらけだったな…。
万一、億が一、僕が有名になるかして展示する際は、そのページだけご勘弁願いたいです。
「尾県」という名称にも理由があります。
この地域は「小形山」で、元は「小形小学校」となる予定でしたが、
子供達のためと考えたからか、明治期の気風でもあったハイカラ色が強い、
読み方は同じで漢字だけ変えた「尾県」という名前にしたんだとか。
来る前は「何だよこの名前、一発変換できねえし…。」とか思ってましたが、
子供たちのためなら仕方ないね!
脇にはこんなダルマが置いてありました。
先述した『合言葉は勇気』で登場した気をつけダルマというキャラらしい。(`・_・´)
ピンボールやゴムパチンコ。
小学校の図画工作の時間に、ピンボール作ったなあ。
ビー玉が数個あれば1時間は遊べたあの時代。
思えばあの時から独りが好きだったんでしょうね、僕。
裁縫室。
ひと昔前まで、女性は幼い頃から家事や織物で忙しく、就学率もとても低かったと聞きますが、
小学校が出来てからも、手芸や裁縫の時間が多かったのでしょうか。
と、ここで展示物の片隅にあったものに驚きました。
!!
み、右のやつ!薄く筋模様が入って、まるで冒頭の写真の木の実じゃないか!
「こ、この繭みたいなのって何ですか?」と聞くと、
「ああ、これは天蚕の繭の殻です」と教えて下さいました。
天蚕。ヤママユガ。
日本固有種ですが、僕たちの生活に馴染み深い家蚕のように養蚕業が盛んではなく、
長野の何某で僅かに生産されるばかりという品種。
皇后様も皇居内で代々養蚕しておられます。その話なら少し耳にしたことがある。
それは素晴らしい、鮮やかな緑で光り輝く最高級の絹糸になるそうです。
しかし手間のかかる屋外栽培で、家蚕のように多くの糸が取れず、
着物1つで800万円を超える値が付くほど。
バブル期にはよく売れたそうですが、今では買い手も少なく、皆手を出さないとか。
ちなみに僕も少し海釣りをしていたので分かるのですが、
釣り糸のテグスとは、元は天蚕糸をそう呼び、用いてたのが始まり。
なるほど・・・冒頭の木の実だと思ってたのは虫の寝床だったんですね。
僕の写真の撮り方が悪かったせいもありますが、こういうことだったんだ。
道理で、木の実で調べても出てこなかったわけだ…。
と、思わぬところで疑問が晴れました。
ガラスケースに入れられ、いつしか時の止まった懐中時計。
この時計はこれからも止まったままかもしれませんが、この郷土資料館は僕の知りたいことを教えてくれました。
そしてその知識はまたどこかで活用されるでしょう。
そして話していて新たな発見。
この小形山は九鬼山と高川山に囲まれた地域で、ハイキングに来る人がたまに寄ることも。
「田部井淳子さんも、昔いらっしゃいましたよ。」
どちらも秀麗富嶽十二景の1つで、特に九鬼山は僕も節分の日に登ろうと計画して、
結局頓挫した地です。
もし登ることがあるなら、この地にまたお邪魔したいですね。
興味深い話を聞いた後に、40kmほど離れた山中湖村へ出発。
大月から相模原へ抜けられますが、混雑を懸念して、山北町から帰ることにするんじゃ。
山中湖までの峠道は結構走り応えがありましたが、無事日没前に到着して、
明神山麓のパノラマ台で夕日を眺めました。
帰り道のバイパスは思ったより空いてて、帰宅したのが19:10。
運転が大部分を占めた山梨観光でしたが、新たな発見があり、満足しました。
旅行ってのはこういうのがあるから面白いんだよなあ。
と再確認した一日となりました。
今日のご飯は焼き鮭と白米です。ではではでは。🐟🍚
ばいばーい!