ローカル・アンド・ロハス。
前回の続き。
旧五箇小中学校跡を後にして、向かった先は近くのS集落。
旧五箇村において中心的な立地にあった薬袋(みない)村の枝村の1つ。
小雨が降っている中、集落へ至る坂道を登ると祠がありました。
薬袋から人の気配のない山道を通ってきましたが、
綺麗に手入れされて、今でも誰かが定期的に来ていることが見て取れます。
祠を超えると二階建ての立派な家が見えました。
小雨をBGMに静かに佇んでいる廃屋1号。
集落の多くの小屋が崩れてる中、その体を支えているのは、棟梁の手が良かったからか、
はたまたそこまで古くはないからか。
この集落、殆ど資料がないんですよね。
早川町郷土資料館や交流促進センターにあるかもしれないですけど…。
集落内には新しい工具が置いてあるので、通いの村人さんがいらっしゃるようです。
集落のお話を伺いたいのですが、本日は不在のご様子。
でもいきなり怪しい者に話しかけられるのも悪い気がするし。
そもそも僕コミュ障だし。あはは。
蔵が風雨や雪の影響でしょうか、その身を傾けていました。
住居が消え、基礎だけが残った場所に置いてありました。
五箇地区では昭和期に酪農農家が存在したと聞きましたが、資料が今回拾えませんでした。
養蚕業が衰退した頃、養豚に転じる方がいらっしゃったとはありましたが…。
どこにでも生えるなー、君たち。
全部食べてしまいなさい。
鮮やかな青の硝子瓶に、コケがぎっしりと詰め込まれていました。
アリが中に入ったら、間違って植物園に来たと勘違いしそうですね。
集落の外れでは、多くはありませんがミツマタが生えていました。
ミツマタは和紙の原材料になり、多くの山村で今でも見ることができます。
五箇地区でも農閑期にはミツマタを煮て和紙を作り、寒い冬を乗り切る資金源にしたそうです。
集落の上にはお墓があり、お彼岸の日に来たのでしょう真新しい菊花が供えられていました。
眠れる人へご迷惑をおかけすることがないよう、一先ずその地を後にすることにしましょう。
薬袋まで降りて獣害防止ゲートを潜ると、道中スルーした神社が見えました。
古く薬袋村の頃からこの地に根差した氏神様のようです。
神社の階段脇で、雨に打たれながら可憐な花を咲かせていました。
前述の交流促進センター。
山村での生活をサポートするNPO法人日本上流文化圏研究所の運営の元、
五箇地区の公民館や資料館として使われているとか。
建物のある場所は旧早川南中学校跡地。
前回訪れた旧五箇小中学校は、昭和34年に隣地区の本建中学校と合併し、
早川南中学校として生まれ変わり、中学校の機能をこの地に移しました。
その後、早川南中学校も今では閉校して取り壊され、運動場やサクラの木が残るのみ。
そういった経緯ならS集落のことにもお詳しいと思い、訪ねようとしましたが
営業時間外で閉館していたので、次の日訪れようとしたら日曜はお休みでした…。
うーん、残念!
薬袋から眺める曇り模様の山々を眺めていると、山村に住むのは、
そりゃ僕には考えが及ばないほど大変で、投げ出したくなる時もきっとあるだろうけど、
ビルや電車に囲まれてる世の中とは、きっと違った楽しみがあるのだろうと感じました。
雨降る中、次へ進むことにした僕の目的地とは。
じゃあね。
(※廃村探索は非常にデリケートな趣味です。マナーを守った上での娯楽だと言うことを意識した
行動をお願いいたします。)