あー、牛タン食べたい。
前回の続き。
根上(ねのうえ)から土(ど)集落への道へと戻り、八尾町側へと走る。
数分すると分岐があり、そこを左へ曲がると目的地だ。
北谷(きただに)集落。
世帯数、人口不明。(字無記述。)
北谷(キタタン)
(『八尾町史』)
富山県では、沢のことを谷(タン)と呼ぶ。
県内地図を見ても『クジガ谷』『真川谷』『クスリ谷』という風に、
富山の沢で『○○沢』と名付く所はそう多くない。
岐阜方面で特にその傾向が強い。
不思議なことに、黒部峡谷から長野県境に近付くにつれて「○○沢」が頻発するのだ。
ここまでに寄った土、下伏(げぶせ)、根上と北谷を合わせた4集落は
昔から『中筋』と呼ばれ、他の地区とは多少異なった風習を残してきた。
本村はこの中筋の北方の谷にあるので
かく名付けられたという。
(『八尾町史』)
『中筋』とは山中街道を指す用語だ。
ここは黒瀬谷の他地区と比べると、人々の往来が激しい場所だった。
舟尾峠
舟尾峠とは、樫尾小学校前より北谷部落を通り、
今は大沢野町になっている、土・下伏を経由し笹津に至る
県道の山越えの峠にあたり、昔は越中(富山)と飛騨(岐阜県)を結ぶ
重要な道路で、人の往来や物資の運搬が盛んでありました。
(『黒瀬谷むらづくり伝承誌』)
そんな北谷の熊野神社は住宅の脇が入口で、少し躊躇した。
分祀からまだ年月が浅いのか、それとも建て替えられたか、見た目には新しい。
放置されて長い原木が、ボロボロになった躰で見つめてきた。
原木栽培は存外に面倒で、生育の2年間欠かさず手を加えなければ菌が死んでしまう。
彼らの亡骸を横目に、僕も仲間にならないよう足早にその地を後にした。