アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住の20代のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2019年5月21日 旧黒瀬谷村④北谷集落

あー、牛タン食べたい。

 

前回の続き。

 

根上(ねのうえ)から(ど)集落への道へと戻り、八尾町側へと走る。

数分すると分岐があり、そこを左へ曲がると目的地だ。

 

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北谷(きただに)集落。

世帯数、人口不明。(字無記述。)

 

北谷(キタタン)

                                                   (『八尾町史』)

富山県では、沢のことを(タン)と呼ぶ。

県内地図を見ても『クジガ谷』『真川谷』『クスリ谷』という風に、

富山の沢で『○○沢』と名付く所はそう多くない。

岐阜方面で特にその傾向が強い。

不思議なことに、黒部峡谷から長野県境に近付くにつれて「○○沢」が頻発するのだ。

 

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何某の紀念碑。

ここまでに寄った土、下伏(げぶせ)、根上と北谷を合わせた4集落は

昔から『中筋』と呼ばれ、他の地区とは多少異なった風習を残してきた。

 

本村はこの中筋の北方の谷にあるので

かく名付けられたという。

                                                                          (『八尾町史』)

 

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耕作放棄地?花畑と化していた。

『中筋』とは山中街道を指す用語だ。

ここは黒瀬谷の他地区と比べると、人々の往来が激しい場所だった。

 

舟尾峠

舟尾峠とは、樫尾小学校前より北谷部落を通り、

今は大沢野町になっている、土・下伏を経由し笹津に至る

県道の山越えの峠にあたり、昔は越中(富山)と飛騨(岐阜県)を結ぶ

重要な道路で、人の往来や物資の運搬が盛んでありました。

                                                                                 (『黒瀬谷むらづくり伝承誌』)

 

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そんな北谷の熊野神社は住宅の脇が入口で、少し躊躇した。

分祀からまだ年月が浅いのか、それとも建て替えられたか、見た目には新しい。

 

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放置されて長い原木が、ボロボロになった躰で見つめてきた。

原木栽培は存外に面倒で、生育の2年間欠かさず手を加えなければ菌が死んでしまう。

彼らの亡骸を横目に、僕も仲間にならないよう足早にその地を後にした。