アウトドアと飯のあれ

神奈川→富山在住の20代のアウトドアと飯と旅行のあーだこーだ

2020年2月17日 富山市:旧八尾町②東松瀬集落

前回の続き。

 

西松瀬(にしまつぜ)から野積川に架かる橋を渡ってみると

どこかの家から小気味良く薪を割る音が聞こえて来る。

 

f:id:akiranngo:20200219181130p:plain

現行。

東松瀬(ひがしまつぜ)集落。

現在の世帯数2戸、人口不明。

 

f:id:akiranngo:20200219181152j:plain

集落内部。

起源は判然としないが西松瀬より古い村落で、かつては単に『松瀬』と呼ばれていた。

元は山奥にも集落があり、麓と分けて上松瀬下松瀬と呼んでいたとある。

 

f:id:akiranngo:20200219181257j:plain

大きな松の樹。

西松瀬でも触れた通り、松の樹がこれより奥の集落に1本もないことから

松末(まつすえ)』が転訛したとされ、西松瀬の開村により『』が付けられた。

 

流石に絵図に描かれたものではないだろうが、屋敷横で立派な松が手を伸ばしている。

 

f:id:akiranngo:20200219181212j:plain

民家。

炭焼や桑・楮の栽培を主に行ったが、西松瀬よりも人口が多いことから

より多くの開墾をしたのだろう、昭和期には田畑が一面に広がっている。

 

西松瀬の区長さんが語った通り、立派な屋敷と薪割りの音が響く民家以外からは

人の気配を感じなかった。

 

f:id:akiranngo:20200219181330j:plain

松瀬峠への道。夫婦山を越えて小井波へと繋がる。

集落奥からは秋頃に人気がある里山夫婦山への登山道が伸びる。

他村との交流も多く、夫婦山の向こうの小井波(こいなみ)や桐谷(きりたに)には

当地の親類縁者もいて、かつては慶弔の度にこの山道を越えて向かったと言う。

 

f:id:akiranngo:20200219181606p:plain

昭和50年代の東松瀬。

明治5年26戸。赤石(あかいし)の対岸にも耕作地が広がっていた。

当時近くの山々から眺めれば、炭焼の白煙と広がる棚田が遠望できたことだろう。

活気が溢れた山村集落にも昭和45年頃から離村の波が押し寄せ、

昭和の末頃には6戸が居住するのみとなってしまう。

耕作地も多くが放棄され、草葉茂り緑へと還って行った。

 

f:id:akiranngo:20200219193845j:plain

フキノトウ

平成に入ってから野積川南縁に管理釣り場併設のオートキャンプ場

八尾魚の公園』を建設して集客を図ったが、アクセスや豪雪の厳しさから

いつの日か事業を畳んで撤退している。

祖父岳を眺めるロケーションは見事だが、やはり交通が気軽とは言い難かったのだろう。

 

f:id:akiranngo:20200219181434j:plain

村社 神明社

村社は神明社

本殿の神額には『熊埜社』とあるが詳細は分からずじまい。

鳥居横の忠魂碑には多くの出兵者の名が記されている。

 

f:id:akiranngo:20200219181630j:plain

集落奥から祖父岳を遠望。

祖父岳は八尾から見ると三角だが、こちらから見ると丸い頭が何とも親しみ深い。

春になれば登山に来た際に、また再訪したいと思う。