前回の続き。
苗場の山頂は団体客でごった返している。
少し早いが昼食にしよう。山頂すぐ傍のヒュッテへ移動する。
飲物を購入して、いつものカップ麺。
しかし長閑な陽気だ。人気がなければゆっくりと微睡みたかったが
40人は座れるベンチスペースが満員御礼だ。長居するにはどうにも気が引ける。
腹ごなしに南西に散歩すれば、どっしりした山容が一際手前に腰を据えている。
大黒山だ。上ノ倉山で県境と接し、白砂山から北向きに苗場山へ繋がっている。
あの辺りもぐんま県境稜線トレイルの整備で歩きやすくなったと聞くが、
白砂山~佐武流山は嫌気が差す程深々しい藪漕ぎと名高い。
人が映り込むとスケールに説得力が生まれる。
しかし聞きしに勝る美しい場所。いずれはこの台地を歩いて存分に山旅を楽しみたい。
北アルプスは少し雲がかりが強く、はっきりと遠望することは叶わなかった。
今度快晴の後立に行った際は、苗場が見えるか確かめてみようか。
時計を見れば正午近く。そろそろ往路を引き返すとしよう。
苗場の木道は新しく、風景を楽しみながら歩けるのが素晴らしい。
北ノ俣岳の木道、思いっきりスリップして尻打ったからね…。
長いし滑るし泥濘むし、厄介な道だ。でもそれでも行きたくなる。
復路は日が頭上に降り注ぐので、景色もそこそこに小走りで駆け降りる。
傾斜はあるけど滑落するような道ではないので、快調に標高を落とす。
下ること1時間でブナの広場に着き、一服。
木暮理太郎と同行はしていなかったが彼と親交の深い田部重治も苗場山に登り、
帰路に赤湯の小屋で一夜を明かしていた。
湯から出ると、河風が冷々と吹いて肌寒い感じがする。
部屋に帰って飯を食うと、越後の味噌が甘く、うどの漬物、
わたへと言うきのこもおいしく、いずれも土地の産物、風味この上もない。
願わくば、日本アルプスと言われる地方でもこうしたものがたべられたら、
どんなにかよかろうと思った。
わたへ、というのは何のキノコか調べてみたが分からなかった。
食卓に並ぶ程まとまって採れるならブナハリタケあたりだろうか。
(ps.松川仁『キノコ方言原寸原色図譜』によると、東北~新潟ではヒラタケを『ワカイ』『ワケェ』、
ブナハリタケを『ブナワカイ』スギヒラタケを『スギワケェ』などと呼んだ。
また新潟ではアミタケを『アワタケ』とも呼んでいた。
赤湯はブナ林が多生するので前者と思われるが、尤もここで採取されたと決まった訳でもないので
結局のところどちらかは定かではない。)
川まで駆け降りてそのまま涼を取った。冷水が体に染み渡っていく。
この川の水源は前述の白砂山、いずれ最初の一滴を探しに行きたいと思っている。
小屋前のベンチで小休憩し、いよいよ肩の荷を下ろして極楽に興じることとした。
赤湯の名の由来となった茶褐色の浴場で疲れを癒す。
意外にも見た目より温かで、奥の方から熱い湯が沸き出してくる。
その昔は農閑期に地元の者達が数人連れがかりで食料と寝具を背負い上げ
河傍に小屋を建て、手彫りの湯船に浸かり、湯治を楽しんでいたらしい。
峡谷に鳴響く瀬音に身を揺らせ、まだ人も疎らな湯に心を任せていると
当時の彼らの気持ちを追体験できるような気もしてくる。
実際、上流を掘れば今も温泉が湧く。次は足湯くらいは試してみようか。
過去の登山ガイドブックによると、それぞれの源泉が万病に効くとされていた。
最近眼精疲労が激しい自分はここで療養を言訳に世俗から離れたいものだ。
電波が全く無いのでリモートワークからも解放される。
鉄泉は湯冷めしにくいのも僕の好みだ。
少し火照ったので小屋に行き涼を取る。これの繰り返し。
たったこれだけで人間は簡単に幸福を享受できる。下界でも取り入れたいものだ。
ドリンク類も何不自由無いのは驚きだ。
水だけでも体は喜ぶのだが、心を潤わすにはやはり彼らの協力が必要不可欠だろう。
とさも知った口ぶりだが、僕は実際そこまで麦酒が好きではないので
ソフトドリンクを購入した。甘味最高、甘味最高。
せせらぐ峡谷の秘湯に思う存分心身を癒した後は、テントで早めの夕食とした。
9月を過ぎたため北陸に多い鬱陶しい羽虫も皆無、
清流の畔でここまで快適な幕営にありつけたことが印象深かった。
葱を大量に入れたうどんを茹で、酒の肴とする。
雨雲一つ浮かばない谷で微睡みながら、夜が来るのを心待ちにした。
続く。