前回の続き。
中ノ又から下山してきた。
再度切り返して上流へ行く前に、麓の集落を見ていくことにした。
塩谷(しおんたん)集落。
現在の世帯数0戸、人口0名。(上市町H30住民登録人口)
「しおのたに」「しおたに」とも呼ばれる。
集落の起源は判然としないが、草分け塩川治郎は源頼朝の家臣であったと云われ、
為朝(ためとも。頼朝の叔父)の遺骨を奉じ村社を斎き祀ったのが承安元(1171)年と
伝えられている。
地名は塩川治郎の名に因んで付けられたとされている。
明治5年1戸と殊更小さい集落であった。
無住集落の時期、離村理由共に不明だが
国勢調査によると平成12年に2戸10名、平成17年0戸0名。
当日は通いの方もいらっしゃった様子で、完全に人の手が離れた訳ではなさそうだ。
お話を聞く機会があれば尚良かった。
村社は神明社。
既に解体されて跡地には僅かな瓦のみ残されている。
解体時期・合祀先共に不明。合祀先は宮司を同じくする延命院(立山町岩峅寺)だろうか。
境内には相当に古い五輪塔があり、その古さが当地開村の古さを物語ると聞くが
当日見た限りは見当たらなかった。
解体時に移したのか、或いは笹薮の中に埋まっているのかは定かではない。
対岸の大松(おおまつ)は家々も並び活気があるが、
橋を渡った一方は鳥の囀りすら良く響く物静かな地だった。
休耕田を背にし、急な坂道へ一走りする。