成瀬晶探検隊。
時は遡ること昭和94年3月1日。
我々は奥多摩の山中に廃村があるとの情報を得た。
その地の名は「旧K村」。昭和に栄えた村が、なぜ廃されることになったのか。
我々はその真相を確かめるべく、調査に降り立ったのである。
というね。
雨降る日にコケを見に行きたくて、川苔山を目指していたのですが、
雨降ってるのに川苔山は危ないかなあという気持ちもあり、
それならば奥多摩で有名な廃村へ行こうかと思い立ち、足を運びました。
ってなことでコケでも見ながらのんびりトレッキングです。
今回向かうのは「旧K村」。地名はあえて伏せます。
どうせ調べたらすぐ分かるんだけどね。逆にその方がミステリアスでいいじゃない。
何でもかんでも教えるのは女の魅力が下がりますよ。男だけど。
アセビ。
早春には少し早いのですが、数株だけ咲いていました。
近頃は花粉症でお困りの方々が多いそうですね。
僕は幸運なことに花粉症に罹っていないので、春の野山も快適です。
毎年、「去年の〇倍の飛散量」と言ってる気がします。
花粉もボジョレー商法を始める時代になったんですね。
それくらいの貪欲さがないと、厳しい世の中で生き残れないのかもしれません。世知辛いものです。
出発から25分ほどで廃村に到着。こちらが旧K村。
古くは薪売りや炭焼きで生計を立てていた、細々とした山村であったそうです。
終戦程なくして石灰採掘の鉱山が開かれ、そこで働く人々が居住する地として、
この旧K村が選ばれたようです。
(元々この地に住まわれていた地主さんの畑であり、買上げか借用したかは不明ですが、
鉱山会社が社宅を建て、従業員を住まわせたとされています。)
時代の波に乗り、最盛期には数十世帯、200人を超えるほどの賑わいを見せます。
幾許かの年月を経て、
石灰岩の採掘量が減ったことで新たな採掘地を探す必要があったこと、
新たな採掘地はここから遠く離れた場所だったこと、
そちらに新たな集落が開かれたことが重なり、村は急速に衰退の道を辿ります。
今から15年前、2004年まではお爺さんが一人だけこの地に住まわれていたそうですが、
翌年97歳で他界すると、全ての建物の解体が行われました。
(山と渓谷社の古い雑誌に、お爺さんへのインタビューが掲載されているとのことです。
国会図書館に蔵書があるそうなので、借りてみたいですね。)
基礎部分や石垣等の当時の遺構は残されたまま、今なお長い時を過ごしています。
最盛期の面影を残すかのよう。
雛壇を見ると、村としての規模の大きさが見えてきます。
大通りから横に伸びる狭い道の奥にも、民家があったのかな。
広々とした庭があるこの家は、畑を耕してたのかな。
でも上に切り開いた斜面があるから、あっちの方が畑かな。
色々考察して歩くのが好きです。
(食堂、浴場、理髪店、鳥居と社、明らかに社宅より格が高く見える建築物も存在していました。)
小雨に濡れる。
しとしと降る雨露の中、レインウェアを着て歩くと、晴れの日とはまた違った発見があります。
レインウェアやザックカバーなんて、何ヶ月出してなかったんだ。
えーと、最後に雨降ったのが丹沢表尾根の時だから…。
ザックの肥やしにならないように、定期的に使ってあげましょう。
年代物の瓶が落ちてました。
ちょっと調べたら、1959年頃に販売されたボーソー油脂製のサラダ油だそう。
1959年の3月1日にはフジテレビが放送開始になりました。
僕が小学生の頃、大流行したのがトリビアの泉。好きだったなぁ。
山林へ続く。
この地の人は薪や炭を売って生活していたとの話ですが、
この山道もその古くから、使われていたのでしょうか。
道中ではヒノキやナラが見られます。
ヒノキは火起こしに使われる「火の木」、神仏にも用いられる最高級の「日の木」
として、昔から人々に重宝されたそうです。
しかし当時は舗装路や車などありませんから、薪を担いで山を下りて、
町に売りに行ったわけで…。当時の苦労が偲ばれますね。
解体されずに残った竈がありました。
このような土地では水や食料が何より大事ですから、共同の炊事場で調理して、皆に振舞っていたのかもしれません。
(やはり鉱山労働者へ料理をふるまう食堂棟の説が有力。
解体以前は彼らへ昼食用に持たせる弁当箱の殻もあったそうです。)
まっくろくろすけがいそう。ぞぞぞぞぞぞ。
ジブリで地味に好きなシーンは、サツキが火焚きに使う薪を拾いに行くところです。
今の荒んだ日本に必要なノスタルジアを感じます。
蛇口がいっぱい。
規模や村の最上部付近に建てられていたことから考えるに、土地の地主か、
そうでなくとも村の中心にあった建物のようです。
手洗いにしては低い位置に蛇口が数ヶ所ついていたので、共同浴場だったのかもしれません。
(上物があった時代のレポートによると、共同浴場だったとのこと。)
当時の資料とか見たいね。
竈から立っていたと思われる煙突の穴も、すっかり自然に侵食されてました。
ミクロの視点でこの風景を旅してみたい。
そういうゲーム発売されないですかね。「蚊」みたいに「蟻」って名前で。
花や木と同じく、僕たちが何気なく見ているコケにも、もちろん名前があります。
もしかしたら住所や番地もあるのかもしれません。
枝葉に乗った雨が、芽に雫を携える。
雨上がりの枯れ枝のこの感じが好きです。
近づいたら跳ねて水滴が落ちてしまいました。諸行無常。
雨も上がり昼になったので、階段に腰掛けながら休憩。
小鳥の囀りをBGMに寝っ転がりたいですが、そこまで大きいマットは持ってきてない。
いつもの、ね。
カップヌードルが発売したのは70年代からなので、ここに住んでいた人達も
もしかしたらたまに食べていたのかもしれません。
シカの糞が結構な数落ちていました。
たまに来ているのでしょう。シカにこの廃墟はどう見えているのか。
人がいなくなってもそこに暮らす自然はある、ということを再認識した1日でした。
最後に集落から見る霧がかりの山々を見る。
この日は晴れると言っていたのに、結局奥多摩はあまり晴れませんでした。
ま、そういう日もあって良いものです。晴れの日ばかりもつまらないので。
今日は朝から快晴だったのに春眠不覚暁を体現するかのような爆睡ぶりでした。
もう出かける気がない。夕方に富士山見に行こうかなくらいです。
じゃあまたね!
(※廃村探索は非常にデリケートな趣味です。マナーを守った上での娯楽だと言うことを意識した
行動をお願いいたします。)