ウス。
雨降った次の日は晴れ、と思えばその翌日は土砂降りと、
空模様は女性の移り行く心に例えられることがしばしばありますが、
「面倒臭くて相手してられっかこんな女」と、富山の女性と付き合う気が
ますますしなくなる梅雨空のこの頃。☔
そろそろすれば、北陸も梅雨が晴れそうです。
そんなこんなで晴れ間があったので、立山に行ってきました。
今回の目的地は、高山植物の宝物庫。
標高2000mに広がる溶岩台地、弥陀ヶ原です。
早朝、立山駅に到着。
単に弥陀ヶ原に寄るだけではないので、往復ではなく片道の切符を購入します。
片道1800円は辛い…。💦
切符を購入して間もなく、ケーブルカーが来たので乗車。
立山駅から美女平の977mまでひとっ飛び(?)です。
ラッピングがかわいい。
前来た時、こんなデザインだったかな…?
その後、美女平から特に何かがあったわけではないので
一気に弥陀ヶ原までジャーンプ!
昼過ぎまで快晴、行楽やシーズン前点検の人で賑っていました。
10か月ぶりの弥陀ヶ原。
あの時は雲がかりが激しかったですが、今回は大品山より上は真っ青。
木道を歩いて右手に見えますのは大日連山。
そういえばこの間、日帰り称名滝~大日岳~室堂とかいう電波を受信した。
絶対次の日動けないやつだ。
数週間前まで雪の底だったので知ってはいましたが、花は全くナシ!
存外に自然豊かなもので、餓鬼の田には大きなヤゴが住み着いていました。
こんな1年の半分は雪の中なところでも、逞しいものだなあと感心します。
さて、今回最初に向かう場所は、
弥陀ヶ原から麓方向へ向いて左手、つまり大日連山に背を向けて歩いて1時間。
歩いた先に最初の目的地、松尾峠が待っています。
松尾峠の前に立山火山🌋の説明をば。
立山連峰には活火山があります。
と言っても、雄山や富士ノ折立、大汝山ではありません。
室堂・弥陀ヶ原から五色ヶ原までを含む活火山地帯を立山火山と呼ぶのです。
室堂で言えば、地獄谷の活動が代表的なものですね。
この火山の浸食カルデラと、外輪山の眺めが楽しめるのが、松尾峠です。
雪は少し溶け残っていましたが、何ら問題なくたどり着きました。
あと2週間もすれば残った雪も無くなるでしょうね。
笹薮茂る木道を歩いて、松尾峠に到着。
どれもこれも勇ましい名前がついています。
久々にパノラマ撮影。右に見えるは薬師岳。
さて、僕が興味をそそられたのは、松尾峠から見える『ココ』。
獅々岳直下にポツンとある(という噂の)、立山新湯です。♨
立山温泉
1580年(天正8年)、深見六郎右衛門によって立山温泉が発見された。
本格的に温泉地として整備されたのは1770年(明和7年)以降である。
その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、
江戸時代は非常に賑わった。
(中略)
1969年(昭和44年)に発生した豪雨により
温泉への道が被害を受けたことと、
1970年(昭和45年)に立山黒部アルペンルートのバス路線開通を受け、
1973年(昭和48年)に廃湯した。
立山新湯は、この跡地の更に上に登った先だそう。
W・ウェストンも立ち寄り、立山登山をしたという由緒ある温泉。
古くは立山の代表的登山拠点の1つだったのでしょう。
建屋は撤去されたそうですが、今もこっそり入っている人がいるとかいないとか。
ちなみに今でも絶えず砂防工事が行われているこの地には、
つくづく自然災害における人間のちっぽけさを感じます。
豪雨で寸断された道は針ノ木古道と呼び、
ザラ峠を越えて山向こうへ辿っていました。
ザラ峠は戦国時代、佐々成政が厳冬期立山越えを行った『さらさら越え』の舞台。
何はともあれ、一昔前まで立山を支えた場所。
いつかもし叶うのであれば、その道を一度歩いてみたいですね。
景色を堪能した後は小腹が空いてきました。
展望台は少し虫が多かったので、来た道を戻って大日岳を見ながら朝食を。
カップヌードルを食べるには少し暑くなってきた季節。
水とインスタント麺で素麺でも食べてみようかな…?と思いながら。
腹ごなしも済み、一休みしたところで歩みを進めます。
次回へ続く。