また過去山行。
2022年GWは連休中に仕事が入り、長期山行のチャンスが消えてモチベが地の底に。
湯俣温泉テン泊で終えようとしてましたが、流石に少し物足りない。
ということで仕事が終わってから御嶽山に向かうことにしました。
今回は以前から気になっていた摩利支天山北西尾根です。
5:29濁河温泉飛騨口里宮の裏手、仙人滝への遊歩道を暫く進む。
濁河から御嶽への登山路は、今から230年前の1791年に開かれた
小坂口が唯一の経路。(胡桃島からの秋神口も途中で合流。)
だが明治時代の地図にはもう1つ道が記されている。
古地図には摩利支天山の北西に延びる尾根を伝い、賽の河原へ出る道が刻まれている。
この道について後日調べてみても、なかなか情報が拾えず由緒が不明となっていた。
昭和のガイド本の地図にも記されているのに、肝心のルート詳細どころか
道があることすら触れられていない始末。
忘れかけていた頃、昭和2年発行の本に下記の記述を発見した。
(中略)濁河温泉に至る(中略)
此地海抜六千尺以上、是より山路急峻、里許にして喬木を絶ち、
偃松帯に入るここを過れば一木もなくして、只蘇苔地衣の岩石に被衣するを見る、
嶮道数町にして、削崖崔嵬たる嶽上の背梁骨に立つ、眼下は即ち地獄谷、
是より荒涼の平原、賽の河原に下る、対面に二個の岩壁あり、
その中央に屹立するは、継子嶽にして、背後に在るを継母嶽といふ、
信・飛両州の山境なり、濁河温泉より頂上まで三里。
(横井春野『何の山へ登らふか』)
『嶽上の背梁骨』『賽の河原に下る』『背後に在るを継母嶽』。
明らかに飛騨頂上から賽の河原に出たのでは当てはまらない。
つまりシン谷源流をトラバースして賽の河原へ降りる道を示しているのではなかろうか。
昭和のアルパインガイドには一般ルートは勿論のこと、
遡行図や廃れた修験の経路まで粒さに記されているのに、この道の記述はない。
つまりサブルートとして広く知られたものでもなく、
一時的に応急で通れるような迂回路と推察した。
最近では平成30年豪雨で仙人滝を経由する従来のルートが崩壊している。
天災で通行が難しくなっても登拝を望む人の為に開かれた側道ではないか。
普段は人が迷い込まないように、敢えてガイド本では記さなかったのかもしれない。
尤も、昭和初年に小坂口が通れなくなった話は見当たらないので憶測でしかない。
この道の由緒に詳しい方や気づいた事などあればお聞かせ願いたい。
雪さえあれば非常に登りやすい。取付きが緩傾斜で静かな森歩き。
緩く短くした蝶ヶ岳長塀尾根の樹林帯と言えば分かりやすいだろうか。
あまり逸れるとシャクナゲの藪に入るので、尾根を伝う方が無難。
眺望が少しずつ開けて来ればモチベーションにも繋がるだろう。
森林限界が近づく頃にはテン場にも向きそうな斜面が顔を出す。
ここで眺める夕焼けは美しいだろう。独立峰特有の暴風リスクには警戒が必要だ。
大自然のスクリーンを楽しむのも一興。
遠目には白山。長い間行ってない。
結局昨年も沢に行こうと思い、明け方が寒すぎて引き返した。
ドピーカンの好展望な尾根を歩く時、不思議と心も穏やかになっていく。
若干暑いのは困りものだが。というか暑すぎた。
この日は下呂で25℃。春をすっ飛ばして真夏のような陽気だ。
常夏のビーチには先客がいた。
彼も浜辺で日光浴を楽しんでいたのだろう。
トラバース気味に右上するよりも雪質とリスクを鑑み、直上して尾根通しに行く。
一面に広がるハイマツ帯を右に見る。
これは雪付きの問題か、はたまた左側はハイマツが発達していないのか。
無雪期の記憶がない。今度眺めてみようか。
2900mに達する頃、右手には立派な岩峰が屹立している。
継母岳だ。西洋童話に出てくるような厳しい面構えを感じる。
ここにいる男は舞踏会どころかフォークダンスすら踊れやしないが。
北東に進路を変え、礫岩の堆積を登り上げれば奥に坐す摩利支天山。
荒涼とした御嶽と比してアルプス的な面白い景観だ。
背後には御嶽。
この日は確かレベル2。来た人達も大概は摩利支天山までで留めていた。
シン谷源頭の抉り取ったような崩落地帯が荒々しい。
瓦礫の小路を歩くと所々で大岩に出会うが、巻きも登りも易い。
周囲の景観を味わいながら快適な登り詰めだ。
振り返ると少し柔和になった継母が見える。
奥に見えるは白草山の辺りだろうか。あの山も素晴らしい。
丁度3時間半で山頂へ達した。
5月の熱気の割に雪面も保ってくれて快適極まる登山だった。
御嶽の小屋はまだ雪解けを心待ちにし、暫し長い眠りの中だ。
許されるのなら本峰参拝と行きたいところだが、また夏にでも訪れようか。
継子岳の緩やかな台地の向こうに聳える乗鞍と穂高の峰々を眺め、下りは夏道とした。
続々と登山者の姿も見えてきている。
夏は湖畔のように美しい三ノ池はまだ眼を閉じたまま。
避難小屋は開いているが、初冬に来た時寒々しい思いをしたので外で温まる。
飛騨山頂にて参拝を済ませ、下山にかかる。
富山市街地より県境の方が近い僕は、もはや飛騨人と言って差し支えないだろう。
つまり御嶽は地元の山ということだ。いや、言い過ぎたか?
帰りの道は想像以上に雪解けが早いが、アイゼンを脱いだら滑るので困りもの。
のぞき岩で一息付いて、右から伸びてくる北西尾根の白雪を眺める。
氷がようやく消えてきたジョーズ岩付近でアイゼンを外し、駐車場には13:00頃到着。
温泉に浸かって疲れを癒して帰路に着いた。
帰りのr441(御嶽パノラマライン)からは歩いてきた北西尾根が遠望できた。
しかしぐねぐね曲がる割に標高が落ちず、通行量も多くかなり疲れる道だった。
展望以外ならチャオを経由した方が楽だと思う。
前述の下呂の暑さに閉口しながら、17:00頃に自宅に到着した。
おわり。